阿蘇列島旅日記part4 フローレス島・コルヴォ島篇 その1
2010年 07月 12日
フローレス島からコルヴォ島を望む
今年で四度目となるアソーレス諸島への旅は、諸島最西端にしてヨーロッパの最西端フローレス島とその北にあるアソーレス最小の島コルヴォ島を目指した。
今回はINATELという会員制リゾートクラブのような共済組合のような団体の主催するツアーに参加した。フローレス島4泊5日航空券+ホテル+二食でツインルーム一人380ユーロより。今年も連れの調達は間に合わなかったので割高のおひとりさまとなったが、それでも航空券やホテルを自分で手配するよりはかなり安い。しかも朝食と夕食が付いている。中身は何もないのでホテルでのんびりするもよし、マリンスポーツやトレッキングを楽しむもよし、コルヴォ島の1日観光に参加するもよしといったフレキシブルなツアーである。
空港で初顔合わせをした参加者は熟年女性4人組とリタイアした夫婦1組と私の7人。私以外は皆ポルトガル人である。日本では奥様達のグループ旅行は別に珍しくないが、ポルトガルではちょっと変わっているかも。どうも離婚したか、夫に先立たれたかで今はシングルの女性の集まりのようだ。大阪のおばちゃんのごとくパワー全開である。ここで既に最果ての島への旅でロマンスが生まれる可能性はがっくり下がった。
朝6時半のエアバスでリスボンからサン・ミゲル島に向かい、そこからボンバルディア機に乗り継いでフローレス島に10時半頃に到着するはずだったが、出発日にアソーレス航空SATAがストライキを行い、1日目はフローレス島行きの飛行機が飛ばず、経由地のサン・ミゲル島で1泊を過ごすこととなった。SATAは、ストで予定変更を余儀なくされた私達に、ポンタ・デルガーダのホテルと昼食と夕食を提供した。ホテルはザ・リンス(山猫)という名前になっているが、古い地図ではホリディ・インとなっている。
マリーナが整備されてだいぶ洗練されたポンタ・デルガーダの海岸沿い
もとアメリカ系のホテルのレストランの食事ということで、特に期待はしていなかったが、意外に郷土色が豊かである。昼のメニューはカツオ系の魚のグリル。あっさり塩味で大変懐かしい味。味噌や醤油をつけて焼いて生姜を添えたら、最高の日本食になりそう。
デザートはカスタードクリームタルトとチーズケーキの中間のようなお菓子。
夜はアソーレス料理のビュッフェ。サン・ミゲル島の料理はポルトガルの四川料理と言うべきか、ピーマンの塩漬けや唐辛子を使ったピリカラ味でチョリソやブラッドソーセージも唐辛子のアクセントが利いている。シシャーロスという小魚の南蛮漬けは最高!
バカリャウ(干鱈)のフライもピメントとトマトのソースで味付けされている。付け合せにサツマイモとピメントを使ったアソルダ(パン粥)
豚肉の煮込み、ベークドビーンズ、鶏手羽の唐揚げは止められない止まらない危険な味だ。
デザートはこの島名産の紅茶を使った紅茶のプリン、豆のケーキ、島の特産パイナップルのケーキ。
この日の夜はマリーナに設けられたイベント会場で、現在海外ツアーで集客できるほとんど唯一のファド歌手、マリーザのコンサートが行われた。わずか5ユーロでマリーザの生の声が聴けるのはめったにないチャンスである。モデルのような長身、ベリーショートのブロンド、エキゾチックな顔立ちのマリーザは、ポルトガル人の父とモザンビーク人の母との間に、当時ポルトガルの海外領だったモザンビークで1973年に生まれ、3歳でリスボンに移住。幼いころから父の経営するレストランなどで歌っていたという彼女は、アマリア・ロドリゲス亡き後のファド新世代のホープ。パワフルな歌唱とスタイリッシュなルックスで演歌のイメージのファドを格好いいワールドミュージックに変身させた。昨年は日本でもコンサートを行った。
最近のヒット曲「白いバラ」のプロモーションヴィデオ
「バナナ&チーズ」に爆笑しました。ポルトガルではよくやられますね。
フローレス島を訪れる日本人は2年に一度来るか来ないかだそうです。
ぜひ、行ってあげてください!