ポルトガルの食べ物、生活、観光情報


by caldoverde
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聖アントニオ祭のシンボル鰯をデザインした旗とヌーノ・ゴメス似の可愛い少年

 6月12日はリスボンの祭り、聖アントニオ祭。国営放送RTP1では終日お祭りの様子を実況生中継している。日中はカテドラルの集団結婚式の模様を(某宗教団体のではなく、リスボン市が一般市民から公募し選ばれたカップル)、夜はリベルダーデ大通りで行われるパレードを延々と放映している。垢抜けないが微笑ましくそしてエモーショナルな、市民の祭りにかける心意気をポルトガルのお茶の間に伝えてくれる。

 ポルトガル建国と共に建立されたカテドラルの厳かな雰囲気のなか、神妙な面持ちで神父のお祈りや祝辞に耳を傾ける十数組の新郎新婦の中に4組ほど髪がほとんど白くなった渋いカップルが参加している。いったいどのようないきさつで、今日自分の子や孫と同じ年代の若者たちと共に結婚式を挙げることになったのだろうか。そのうちの1人の男性は感極り、神父さんに誓いの言葉を述べるところで絶句し目頭を押さえ、傍らの新婦も声を震わしながら夫への生涯の愛を宣誓していた。
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 パレードはマルシャ(マーチ)と呼ばれるように、1,2,1,2という行進曲のリズムのブラスバンドの演奏に合わせて、振りをつけながら歌い練り歩く仮装行列だ。リオのカーニヴァル同様、地区ごとにテーマを決め、主題歌を作り、踊りを振り付け、衣装を用意する。メンバーは各地区精鋭?の演奏家、歌手、ダンサーから編成される。
 聴いたとたんずっこける様な歌や踊りの不ぞろいさ、下手くそさだが、とにかく一生懸命だ。そして主題のローカルなところ、オラが町内、オラがリスボン、どんなに広がってもオラがポルトガルから決して逸脱しない、地域への愛や国への誇りが感じられるところがいい。
 リオのカーニヴァルのようにビーナスのような肢体の女優やモデルがパレードの中心になる訳ではない。主役は魚屋の女将さん、パン屋のおじさん、カフェのお姉さん、警備員のお兄さん、家政婦のおばさん、高校生、主婦、公務員その他普通の人々であり、推定平均体重は65~80kgである。練習は仕事の後の夜、教会や集会所で行われる。



 この夜はリスボン各地区の広場や通りに鰯の炭火焼や揚げ菓子、マンジェリコ(バジリコの一種の鉢植え)の屋台が登場し、臨時のステージでバンドが生演奏を行い、老若男女が踊るアライアルという地域の祭りも同時に催される。地域の有志が世話役になって祭りの企画・実行が行われるので、屋台で鰯を売る人々もプロではなく祭り好きの一般市民で要領悪いことこの上ない。

 私と近所の漫画家ヤマザキマリさんは近くのお祭り会場で鰯を食べようと誘い合わせた。彼女はシカゴへの引越しと大ヒットした「テルマエ・ロマエ」の締め切りに追われ大わらわの状況であるが、この日は夕食と気分転換をかねて二人で祭りに出かけた。

 まず、何はなくとも鰯を食べなくてはならない。前の経験から鰯の屋台は長蛇の列となるので相当の待ち時間を覚悟はしていたが、なかなか順番が回ってこない。列がほとんど動かないのだ。食べ物を用意するカウンターでは頭に緑の被り物(マンジェリコのつもりか)をのせた男女4~5人が喋りながら豚肉サンドを作ったり、サングリアを調合したり、チョリッソを揚げたりしているのだが、一向に鰯は焼き上がらない。一人がんばっているのは炭火で鰯を焼いている男なのだが、火力が足りないのか煙で燻されるこのセクションを手伝おうという仲間がいないのか、なかなか焼けない。手持ち無沙汰にしている仲間がふいごや団扇で火に勢いを与えればもうちょっと早く焼けるのに。夕食がまだだった私たちは先に出されたサングリアをちびちび飲みながら待った。夜風は意外と冷たく、祭りの賑やかさと反比例して次第に口数は少なくなり、二人の胸中にはもう鰯も代金も諦めて別のところで食べようか…という考えさえ浮かんできた。

 しかし明けない夜はない。遂に1時間後、待ち望んだ鰯の炭火焼がぺこぺこしたプラスチックの皿にのってやってきた。鰯の熱が手に伝わってきた。早く食べたい。早くこの熱い皿をテーブルに下ろしたい。ところが席がない。立って食べるにはあまりにも心もとないプラ皿、箸もナイフもフォークもスプーンもない。最後の手段はゴミバケツをテーブルに見立てて立ち食いか?と言うところまで追い詰められたが、運よく食事を終え立ち去ろうとしている家族のテーブルに滑り込むことができた。この日の鰯は今までの人生で食べた鰯の中でもベスト3に入る味だった。たっぶり塩をまぶした皮は香ばしく、身は固すぎず柔らかすぎず絶妙の火の通り具合。オスは白子、メスは卵を持っていて、小さな魚の中に色んな味が楽しめた。炭火の煙に燻されながら待つこと1時間、じりじりと焼かれた私たちの情熱と食欲は、祭りの屋台の鰯を世界最高峰のシェフによる至高の味へと変えた。



 今年のステージはバンドがファドをロック風にアレンジしたものや60年代の曲を英語で歌うなどアメリカンな演奏を繰り広げていたのだが、どんな曲でもソシアルダンス風に踊れるのはさすがラテン民族である。しかも70~80歳とおぼしき老人が信じられないような軽快なステップを踏んでいる。一人でも、パートナーと一緒でも、決まっている。

 そして曲は変わり、フランク・シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」。ステージ近くで年の頃アラカンの昔のお嬢さんが曲に合わせて踊る、と言うよりも当て振りをしている。彼女には鰯の屋台も踊る老人たちも走り回る子供たちも見えない。ここはリスボンの下町の盆踊り会場ではない。カーネギーホールかブロードウェイのステージでスポットライトを浴びるスターなのだ。この完璧なりきりおばさんを見てヤマザキさんは「ライザ・ミネリ?」と絶句した。曲はフィナーレに近づき、一人のおじさんがつかつかと近寄るともうたまらないといった様子でこのおばさんをがばっと抱きしめ一緒に踊り始めた。日本のおじさんなら「お前恥ずかしいから止めろ」と無理やり手を引いて外に連れ出すところであろうが、ラテンの男は糟糠の妻の熱演にかつての情熱を蘇らせたのだ。しかし妻はライザ・ミネリを辞めない。両手は宙に泳ぎ、華麗に舞う。そして感動のフィナーレ。割れんばかりの聴衆の拍手に彼女は答える。両腕を思いっきり伸ばし手をひらひら動かしながら…



 ヤマザキさんは感動で溢れる涙を拭っていた。今月中旬にシカゴへの引越しを控えたヤマザキさんにとっては、おそらく最後のリスボン鰯祭りになる。味のあるジジババを描かせたら天下一のヤマザキさんにとって、この祭りは多くのインスピレーションを与えるものだっただろう。いつかこのリスボンの鰯祭りのことを漫画に描いて、ポルトガルの良さ、暖かさを日本の読者に伝えて頂けたらと思う。でも一番望むのは、またリスボンに舞い戻って一緒に鰯を食べたり近所を散歩したりすることだよ、ヤマザキさん!
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by caldoverde | 2010-06-17 07:21 | シーフード | Comments(4)