ポルトガルの食べ物、生活、観光情報


by caldoverde
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 初日に乗ったタクシーの運転手に、翌日の午後に島を案内してくれるよう頼んだ。通常は1時間17.50ユーロのところ15ユーロ、時間は3~4時間ということで交渉がまとまった。他の島でも大体そのような値段だった。

 朝は自転車で空港まで出かけた。サンタ・マリア空港はアソーレス諸島の中で最大、ポルトガル国内でも2番目に長い滑走路を持つ空港だそうだ。どの方向の風にも対応できる4つの滑走路を持つ。他の島の空港は海岸線ぎりぎりに滑走路が設けられているが、サンタ・マリア空港は高低差のほとんどない広大な草原の中に位置する好条件。1970年代のオイルショックまで、サンタ・マリア空港は大西洋路線の給油地として、アメリカ・ヨーロッパ間を結ぶ飛行機は必ず立ち寄っていた。何とコンコルドまで離着陸した!だから空港内のカフェはコンコルドという名前である。かつての栄光はいずこ、がらんとした構内には辛うじて国際空港としての名残が見られ、観光案内所もある。ここでバスの路線と運行状況を書いた紙を手に入れた。
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 空港の入り口にはミニバスが待機している。空港とヴィラ・ド・ポルトを結ぶシャトルバスで、毎時5分に出発する。土曜日は午前中のみ、日曜運休、料金は1ユーロ。こんな小さな島の空港にしては上等である。運転手は折りたたみ自転車を載せるのを快諾し、若い男性の乗客は自転車を積み込むのを手伝ってくれた。乗客は私と彼ともうひとりだけであった。

 もう一つの路線はヴィラ・ド・ポルトを出発して各集落をまわり、終点で折り返しまたヴィラ・ド・ポルトに戻る路線バスで1日2~3往復する。これも土曜は午後の便、日曜は全便運休である。金曜日の今日乗らないと2度と乗れない。シャトルバスがヴィラ・ド・ポルトに着くころ、ちょうど路線バスが出発する。そして再び戻ってくる時刻が、ちょうどタクシーの運転手と約束した3時になる。地元の人たちが乗り降りする普通のバスにのんびり揺られるのも旅の楽しみのひとつである。予定は決まった。後は自転車をどこに置くかである。
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 ヴィラ・ド・ポルトに着き、タクシー乗り場を通りかかると、昨夜の運転手がいた。彼はなんとこれから乗ろうとする路線バスの運転手でもあった。バスとタクシーを掛け持ちしているのだった。自転車はタクシー運転手の休憩所に保管してもらうことができた。

 バスは買物袋を2つ3つ提げた女性達を降ろしながら、山間部の集落を巡った。地図で見るとすっきりまっすぐに見える道路も実は曲がりくねった山道である。直線距離の2~3倍はあるような気がする。終点のマルブスカまで片道1時間。観光の目玉である海岸線はかすめもしない。本当に住民の生活の足なのだ。山間部に住む人々は小規模の畑を耕作し、山羊などの家畜を飼い、自給自足的な生活をしてきた。平野部とは違って緑も多く、こちらはポルトガル北部の景色に似ている。住宅はこの島独特の矩形にロケットの様な円柱の煙突をもつ可愛らしい家だ。 
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 ヴィラ・ド・ポルトに戻り、今度はタクシーに乗って海岸部を含め島一周ツアーに出発。コースは運転手のお任せだが、4時間弱で島の全てを見せると保証した。
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 島の北西部の集落、アンジョス。コロンブスがアメリカを発見しヨーロッパに帰る途中錨を下ろした、一番古い村。大人用・子供用2つの海水プールがある。
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 島の最高峰、ピコ・アルト、590m。天気が良ければ島全体が見渡せる。1989年2月イタリアを発った旅客機がこの山に衝突するという大惨事が起こり、その慰霊碑が建っている。
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 運転手が島一番、もといアソーレス1の景色だと推すサン・ロレンソ湾。海に向かって落ちていく斜面には石垣で区切られたブドウ畑が扇のように広がる。大雨で岸壁が壊れ、護岸工事をしているため、海水が濁っているのが残念。
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 エスピリト・サント村の同名の教会。ダイナミックな黒い石の縁取りと白い壁が強烈なコントラストを生み出す18世紀のバロック建築。
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 ほとんど垂直の岩山の斜面にブドウ畑を作ったマイアの村。大変な努力だが、残念ながら近年は手入れする人もいなくなり放置された畑も。
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 夏はわずかな水量しかないマイアの滝は、島一番の高さを誇る。
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 島最古の灯台と崖に作られたブドウ畑。ダイナミックな景観。
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 さらさらなきめの細かい砂のプライア・フォルモーザ(麗し浜)。黒い溶岩が固まった荒磯ばかりのアソーレス諸島のビーチの中で最も美しい砂浜である。8月15日には大規模な音楽祭が行われる。
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 さしたる産業もなく、農家は補助金を頼り、本土に行ったきり戻ってこない若者も多いこの島だが、タクシーの運転手はここの静かな生活を愛している様子が、朴訥とした話しぶりの端々に感じられた。

 夕食はポルトガルのどこにでもあるようなタスカ(居酒屋)「オ・ジョルジェ」でヴェジャンという魚のフライを食べた。図鑑によると英名パロットフィッシュ。市場でもよく見る腹が赤い魚である。見た目の残念さと親父が集う店の雰囲気からの予想を裏切る、淡白で上品な味だった。グラスワインもこのクラスの店にありがちな素性のはっきりしないハウスワインでなく、2006年ドウロ地方産の意外と上等なものだった。この店も英語のガイドブックには載っていない。
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「尾頭付き」ではなく尾と頭だけ。でも食べるところはある。
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by caldoverde | 2011-07-30 09:39 | ポルトガルの旅 | Comments(2)
 私のアソーレス諸島全島制覇への旅は残すところあと3島となった。今年はサンタ・マリア島を選んだ。最も南にあり、大陸に近いサンタ・マリア島は週一度リスボンとの直行便がある。他の便はサン・ミゲル島で乗り換えだが毎日3便ある。サン・ミゲルとサンタ・マリア間はわずか30分、乗り継ぎ時間の少ない便を選ぶと離れ小島とはいえリスボンからは比較的アクセスが良い。

 島の地形は西と東で劇的に異なる。空港のある西側は平坦な草原が広がり、東側は森林に覆われた山岳地帯。島の半分を占める平野部は草が黄色く枯れ、崖や切り通しは黄色っぽい地層が現われている。サンタ・マリア島は別名「黄色い島」とも呼ばれている。
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昔はトウモロコシを挽いていた可愛い風車

 空港付近は草原の中に白い長屋のような市営住宅風の家やカマボコ型のトタンで出来た不思議な建物があるばかり。第二次大戦中からベトナム戦争ころまでサンタ・マリア島にはアメリカ軍基地があり、その頃に造られた宿舎なのだろう。タクシーは寂寥感漂う住宅地を通り過ぎ、今度はやや上り坂の、住宅展示場のような立派な家の並ぶ道に入る。そして牛や馬が点々と枯れた草を食む牧場の広がる中に何か収容所のような陰気臭い建物が見えてきた。私が3泊するホテル・コロンボである。一応島の伝統的な建材である玄武岩や赤土を取り入れた外観は、ガイドブックやインターネットで酷評されている。部屋からの眺めは良いが周辺には店も何もない。
 ピコ島に行って以来、アソーレスを自転車で散歩したいという願いがあったので、今回は超過料金を払い愛車のピンクのブロンプトンを飛行機に乗せてきた。ゆるい傾斜の平原の中に立つホテルから島最大の集落ヴィラ・ド・ポルトを移動するのに多少役に立った。
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ホテルの北側の山はいつも雲で覆われている

 島にはホテルと呼ばれる施設は、このコロンボと空港近くのサンタ・マリア・ホテル、ヴィラ・ド・ポルトのメインストリートにあるホテル・プライア・デ・ロボスの3つのみである。交通手段を持たない人は町中のプライア・デ・ロボスに泊まるべきだ。銀行、商店、スーパー、レストラン、バス、タクシー、港、図書館、自然環境センター、旅行代理店は、みなヴィラ・ド・ポルトに集中しているからだ。サンタ・マリア・ホテルは空港からヴィラ・ド・ポルトに向かうシャトルバスが途中立ち寄るが、コロンボの側は通らない。町まで3~40分歩くかタクシーを呼ぶしかない。ホテルを選ぶ時にグーグル地図やグーグルアースで調べたのだが、詳しい映像が出ず、どういう環境にあるのかよくわからないまま内装の写真で選んでしまった。
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一応4★、プール、ジム、ジャグジーあり

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 お天気は所々青空の覗く曇り空、自転車でゆるい下り坂を走るのは爽快だが、帰りは上り坂の向かい風を覚悟しなくてはいけない。ヴィラ・ド・ポルトの街はまっすぐに海に向かって伸びるメインストリートに白壁の低層住宅が肩を寄せ合う、典型的なポルトガル南部の田舎町のつくりである。まず港に下りてフェリーの待合所の観光案内所でパンフレットをもらい、見所や交通機関、レストランについて教えてもらった。つつましい町には豪華な建造物はなく、ゴシックアーチのある古い建物はスーパーに、修道院は町役場にと日常生活の中に歴史は溶けて見えにくくなっている。アソーレスの売りはどちらかというと自然である。この町にも自然環境センターがあり、英語やポルトガル語によるガイドツアーを行う。初々しい女性職員は島の動植物や化石、石の標本を平易に解説し、いろんな地質や化石の見られるトレッキングコースなどを紹介してくれる。
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港にはヨットやスキューバダイビングのクラブ、フェリー乗り場、観光案内所、wifiスポット、カフェがある。

 さてタクシー運転手も観光案内所のおばさんも自然環境センターのお姉さんも推薦する町のレストランは「オス・マリエンセス」である。市場の向かいにあり、美味しくて値段もそう高くないという。いつも参考にする英語のガイドブックには載っていない店で、客は地元の家族連れがほとんどのようだ。大好きなカサガイのグリルと腸詰のフライにヴィーニョ・ヴェルデというつまみと酒だけの晩餐にした。
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腸詰はサン・ミゲル島から来たピリカラ味

 ところが出てきたカサガイの量にたまげた。何かの冗談ではないかと思うほどの数である。しかもカサガイはみな赤い唐辛子ソースがまぶされている。ただの網焼きにレモンだけでも十分美味いものを全部キムチ味にしている。初めの1個2個なら変わった趣向として楽しめるが、だんだん辛さは増していく。白いご飯が欲しい。これは拷問だ。しかし漁師が危険を冒して捕ってきたカサガイを無駄にするのは申し訳ない。最後はもう意地で一気食いだ。殻の数を数えたらちょうど50個だった。島ではカサガイ50個を一人で平らげた女として有名になっていることだろう。
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by caldoverde | 2011-07-28 07:01 | ポルトガルの旅 | Comments(2)
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夕映えのドン・ルイス橋とヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア

 ブラガのバスツアーが面白かったので、翌日はリスボンに帰る途中ポルトに立ち寄り、使用済みチケットの25%割引を利用してここでもバスツアーに参加してみようと思い立った。
 ところが期待はずれであった。日曜日の午後という時間帯も悪かったのかもしれないが、全然良くない、それどころかポルトという街を嫌いになりそうになった。

 まず切符を買うところからトラブった。運転手にブラガの切符とともに10ユーロを渡したら、釣りがないという。小銭を保管する箱がないから、釣り銭が出せないと言う。そんな馬鹿な。ポルトのバスツアーは3コース2日間有効で13ユーロで、10人以上のグループや他の街の同じ会社のツアーの切符を持っている客は25%割引の9.75ユーロになるとパンフレットに明記してある。それなのに25セントの釣りが出せないというのだ。おかしいではないか。食い下がると運転手は自分の財布から50セント玉を出して、向かいのインフォメーションスタンドで両替してもらってくれと私に頼んだ。スタンドの女性係員はここには現金がない、その辺のカフェで両替してもらえという。客がなんでそんなことをしなくてはならないのか納得いかなかったので、バスに引き返して50セントを運転手に返し、会社に文句をつけてやると言い渡した。
 たったの30円かそこらの金額ではあるが、釣りが生じる可能性が大いにあるのに、会社は車にもインフォメーションにも釣銭を用意せず、客の金をそのまま着服するのだろうか。許せん!
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 出発時刻を過ぎてもだらだらと動こうともしなかった2階建て観光バスがようやく走り出した。イヤホンの差込みには日の丸が表示され、日本語のオーディオガイドがあることになっている。チャンネルを8に合わせてガイドを聞くと日本語が聞こえてきた。もう途中のようだ。お祭りか食べ物のことを話している。しかしここは世界遺産に指定されているポルトの歴史的地区のど真ん中、どの建物も立派で、いわくありげだ。なにか説明することはないのだろうか。

 そのうちに案内が突然ドイツ語に変わった。どのチャンネルをいじっても日本語は聞こえてこなくなった。仕方がないのでポルトガル語に切り替えた。

 バスは次の停留所のボルサ宮でもしばらく停まっていた。出発場所から一つ目の停留所で運転手が交代する。なぜ初めから別の運転手が運転しないのか意味不明だ。しかし交代した運転手はどこからか小銭を調達しにっこり笑いながら私に釣りを渡した。クレームをつけようという勢いはややそがれた。

 日曜も平日と変わらないような交通量のポルトの街中をとろとろとバスは走る。しょっちゅう信号や路上駐車の車、工事に引っかかる。それだけでイライラするのに、オーディオガイドの説明と見ているものがさっぱり一致しない。通り過ぎた後で建物の解説が聞こえる。そんなものはどこにあるのか、他の乗客もよくわからないようだ。ブラガは運転手の他にオーディオガイドを操作する女性アシスタントが乗っていたが、ポルトはワンマンカー。運転しながらボタンを操作するので、見ているものと説明との間にズレが生じるらしい。
 しかも説明と説明の間にはファドがかかる。1度ならいいが、何度も何度も同じ曲の同じフレーズを聴くのはうんざりだ。しかし聞き続けないと、いつ説明が始まるのか判らない。他の外国人も苦笑いしていた。
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 中心部から海岸沿いの地区、レッサ・デ・パルメイラスに入ると渋滞がひどくなってきた。大通りをマリア様や聖人の人形を乗せた御輿がパレードをしている。この日は港の祭りのようだった。珍しいものを観たが、交通規制をしている大通りから抜け出すのに相当の時間がかかった。そしてやっと海に出たら、今度は海水浴客の車の列だ。通常は1時間のコースが2時間半かかった。
 他のコースはまともかもしれないと思い、別のバスに乗ったが、似たようなものであった。ブラガが良かったのに反し、ポルトのツアーはブーだった。

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 腹立ちはうまいもので鎮めなくてはなるまい。知り合いがやっているレストラン・ダ・アルジーラに行った。以前日本語のメニューを作ってあげたので、少なくともワインの1杯くらいはおごってくれるだろう。場所はポルトの観光名所のひとつである河沿いのリベイラ地区。石造りの土台の上にカラフルなアズレージョ貼りの鰻の寝床のような建物がひしめき合うレストラン街の中にある。ドウロ河と対岸のワイン倉、優美なドン・ルイス橋を眺めながらの食事は、少々高くてもショバ代が入っていると思えば許せるか。お勧めはタコのオーブン焼き。ドカベンのような赤土のキャセロールにはタコの足、ジャガイモ、さまざまな野菜がぎっしりと並べられ、ハーブやスパイスを効かしたオリーブオイルに浸っている。月桂樹のいかだに乗った赤い粒胡椒が見た目にも楽しく、また山椒のような清涼感を与える。
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 黄金色からコバルトブルーに変わっていくドウロ河をうっとりと眺めながら柔らかなタコを食べていたら、またメニュー作りを頼まれた。よっしゃ、今夜はそっちの奢りだよ。
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by caldoverde | 2011-07-16 05:51 | シーフード | Comments(7)

ブラガで鴨再び

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 リスボンからバスで3時間半のブラガにデートに行った。久しぶりの再会なので、1度しか袖を通していないシルクのブラウスにめったにしない化粧をし、ミシュランでも紹介されたレストランDE BOURO(Rua Santo António das Travessas 30/32,Braga)で夕食をとることにした。ブラガと言えば、ここで鴨を食べる、それが何よりの楽しみだ。既に2回食べている。まだあのメニューはあるだろうか、値段は、量は、質は変わっていないだろうか、と不安と期待に胸躍らせながら、カテドラルの裏にある細い路地の店に入った。「鴨ステーキフォアグラ添え」は健在だった。
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 盛り付けは若干変わっていたが、皮はこんがり、中はバラ色のミディアムに焼けた鴨肉の上に、厚みのあるフォアグラのソテーがのっている気前の良さは変わりない。どちらか一つだけでも十分満足できるような量なのに、両方なのだ!鉄火丼の上にウニがてんこ盛りに盛られているようなものである。しかも付け合わせが、お決まりのフライドポテトばかりでなく、野菜のソテーやらリンゴのピュレやらオレンジのスライスやらルッコラにベビートマトやら彩りが豊かである。最後にバルサミコソースでさっとラインを描いて画竜点睛だ。
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左のハンバーグのようなものがフォアグラです。

 柔らかいフォアグラにナイフを入れて口に運ぶ…乳臭くないクリームのような、磯臭くないウニのような、ほんのり甘く、とろけるようなまろやかな感触。今度は鴨。噛むほどにじんわりと旨みを増す肉、焦げた皮の香ばしさ、ああ、なんと官能的な食べ物だろう。まさに愛し合う二人の夜にふさわしい味だ。そんなステキな料理を私は一人で平らげ、勘定を自分で払った。デートなのに。鴨料理は14,50ユーロなので、なんとか自分の財布から出せるが。

 実は一人でブラガまでコンサートを聴きにやって来たのだ。私のファン暦は20年位であるが、その倍の40年のキャリアを持つブラジルのミュージシャン、イヴァン・リンスがブラガ市の主催する音楽祭のゲストの一人として、ポルトガルのジャズピアニストのミゲル・ブラガと共演する。入場料はたったの15ユーロ。これはバス代をかけても行かねばなるまい。公演は夜9時半からなのでその前に腹ごしらえというわけである。
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中年に入ったら突然イケメンになった。還暦を過ぎた現在はトム・ジョビンに進化中。

 イヴァンは東北大震災の後「上を向いて歩こう」を歌い、東北にエールを送った。ブラガでは演奏しなかったが、いつか日本で歌って欲しい。私の好きな曲は「嵐の後で」(Depois dos Temporais)大航海時代の船乗り達が幾多の荒波を超えて新大陸に到達する、そんな雄大なイメージを喚起させる曲だ。オーロラのように複雑に転調する美しいメロディにブラジルのサンバ、ボサノヴァ、北東部のリズムを取り入れた彼の音楽は母国のみならずアメリカのジャズのミュージシャンにも好んで演奏される。途中?なイメージもありますが、曲にマッチした映像です。


 翌日は勉強を兼ね、2階建てバスに乗ってブラガの街とボン・ジェズース教会を観光した。オーディオガイドつきの観光バスの料金は10ユーロ。ツアーは約1時間。街の中心の広場から夏は1時間毎に出発する。月曜日はお休み。チケットには市の路線バスとボン・ジェズース教会の坂を上るケーブルカーのチケットも含まれており、24時間何度でも乗り降りできてお得である。しかも捨てずに取っておくとリスボンやポルトなど他の町の同じ会社の観光バスの料金が25%ディスカウントされる。不満はオーディオガイドの音質が悪く聞き取りにくいこと、日本語のガイドがないことである。しかしポルトガル語の説明に関してはわりと簡潔で判りやすいので、英語や他の言語も同様と思う。音質の悪さは自分のiPhone付属のイヤホンを使うことによって解決した。
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商店街はリスボンよりきれい

 ブラガには何度も来ているが、2階建てバスから見ると、あらためて実に多くの美しい建物があるのに気付く。バロック様式のダイナミックなデザインの教会や貴族の館、ひまわりのモールでデコレーションされた商店街、歩行者専用の大通りには花壇が設けられサルビアの花が整列している。数年前と比べ見違えるようにきれいになった。2012年ヨーロッパ青年都市ブラガという垂れ幕があちこちに見られる。来年はここで大きなイベントがあるのでそのために整備したのだろう。案内テープによるとミーニョ大学のあるブラガはヨーロッパで最も若い都市とされている。
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 バスは街から出て素晴らしい階段と絶景で有名なボン・ジェズース教会のふもとで停まる。そこからケーブルカーに乗って山の上にある教会を見学し、その後は歩いて階段を下ると、タイミングよく1時間後に通りがかった観光バスに乗ることができ、再びブラガの中心部に戻った。気に入ったのでまた同じ観光バスで一巡りした。元は十分取った。
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by caldoverde | 2011-07-12 11:09 | ポルトガルの旅 | Comments(6)