ポルトガルの食べ物、生活、観光情報


by caldoverde
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

<   2012年 05月 ( 2 )   > この月の画像一覧

エストレモスの思い出

 抜けるような青空の下、コルクやオリーブの林の下は緩やかに波打つ緑のじゅうたん、小高い丘にたたずむ古城、洗い立てたような石灰の家々、乳白色の大理石を敷き詰めた歩道。アレンテージョの村はどれも白昼夢のような美しさを持つ。中でもエストレモスはその白眉だ。そして私にとって忘れがたい思い出の場所でもある。
a0103335_34159.jpg
城壁に向かう階段も大理石

 20年近く前のこと。現在ポザーダ(歴史的建築物ホテル)となっているエストレモスの城に向かう坂道の入り口に「イザベル民芸店」という土産店があった。窓にはこの村の有名な工芸品である土人形や、アレンテージョ地方独特のカラフルな絵皿、座をロープで編んだ木の椅子のミニチュアなどが並べられていた。老人が一人店番をしており、窓から覗き込む東洋人の旅行者である私を店に招き入れ、これは土笛、これは水瓶、と身振り手振りで説明してくれた。どれも壊れやすそうなものばかりで、また貧乏旅行中だったので、売り上げに貢献できなかったが、店の写真を撮らせてもらった。おじいさんも自分の写真を撮って送って欲しいと私に頼んだ。旅行を終えて日本に帰ると、簡単なポルトガル語で書いた手紙を写真に添えて「イザベル民芸店」に送った。当時は郵便番号は4桁しかなく非常に簡単な住所で、これだけであの遠いポルトガルの片田舎に届くのだろうかと不思議な気がした。
a0103335_364747.jpg
大航海時代に流行った特徴的なアーチのある家

 送った写真のことなど忘れていたころ、エアメールが仙台の家に届いた。丸い虫のような字でSr. João Lopes という名前が書かれていた。あの店番のおじいさんが写真のお礼の手紙を仙台に寄こしたのだ。全く予期していなかったので、嬉しい驚きだった。自分の名前にSr.という敬称を付けているのにちょっと微笑ましさを感じた。私も辞書を引き引き拙いポルトガル語で返礼をした。すると何とまた返事が来た。判読に苦労する文字は、慣れない手紙を一生懸命書く老人の姿を髣髴とさせた。

 1~2ヶ月に1通の割合で、文通は5年くらい続いただろうか。ある時期から、返事がぷっつり途絶えてしまった。数ヶ月置いて、あの丸い虫のような読みにくい文字の手紙がようやく届いた。しかしよく見ると差出人はジョアンじいさんではなく、女性の名前になっている。

「はじめまして、私はマヴィルデ・ロペスと申します。ジョアン・ロペスさんは私の名付け親です。私は今までジョアンおじさんに頼まれて、あなたに手紙を書いておりました。ジョアンさんは今病気で入院中ですので、私が彼に代わってこの手紙を書いてます。」

という内容だった。実はジョアンじいさんは字が書けず、自分が名付け親となった近所の女性に代筆を頼んでいたのだった。今度はマヴィルデと文通を続けることになった。彼女は同じエストレモス出身の旦那さんと息子の三人家族で、近くに住む母親の小さな食料品店を手伝っていた。ジョアンじいさんの店から買ったのだろうか、コルクの小さなお土産品なども送ってくれた。ジョアンじいさんは酒飲みだったそうで、脳卒中か肝硬変で倒れたようだった。エヴォラの病院に搬送されたが、残念ながら亡くなってしまったとの知らせが届いた。
a0103335_385295.jpg
唐辛子やニンニクが釣り下がった中央広場の屋台

 数年後、再びエストレモスを訪れる日が来た。ジョアンの娘イザベルの代になった「イザベル民芸店」を訪ねた。すぐそばのレストランではマヴィルデと家族がテラス席で食事をしていた。私はイノシシのステーキをご馳走になった。食事の後彼女の家に招待された。エストレモスの城の周りを囲む城壁に接した、築何百年という古い家だ。家族三人がやっと住めるような小さな家だが、内部は驚くほどピカピカに磨き上げられた大理石で出来ていて、造花や置物で飾りたてられ、インテリア雑誌の写真のようだった。

 その後、マヴィルデのお母さんの食料品店に立ち寄りパンをお土産に持たされ、ジョアンの未亡人の家も訪ねた。おばあさんは見知らぬ外国人の私に亡き連れ合いの思い出話を語った。二人はまだ10代の頃に駆け落ちしてこの村にやって来たのだそうな。質素な家の飾り物と言えば、寝室のシワ一つなく整えられたベッドの真ん中に置かれた陶器の豚と、棚の赤ん坊の人形くらいだった。独りになったおばあさんは時々人形たちに話しかけ、寂しさを紛らわせていたのだろうか。四方を白壁に囲まれた2畳間くらいの部屋には天窓が空けられて、小さなソファだけ置いてあった。まるで中世から変わっていない庶民の暮らしを見るようだった。
a0103335_3101398.jpg
マヴィルデの家はこのアーチのすぐ後ろにあった

 その後ポルトガルに住むようになり、4~5年前はツアーの仕事で何度かエストレモスを訪れた。その頃もうマヴィルデはいなかった。彼女は病気で亡くなっていた。「イザベル民芸店」を継いだイザベルも亡くなり、彼女の夫が店と別の仕事を兼業していた。立て続けに家族や知人を失った新しい店主は「これが人生さ。」と寂しそうに言った。

 最近久々に仕事でエストレモスに行く機会ができた。ところが「イザベル民芸店」自体がなくなっていた。昔マヴィルデにイノシシをご馳走になったレストランの主人は、ジョアンじいさんの文通相手だった私を覚えていて、あの店を閉めたのは割と最近のことであると告げた。もう少し早く来ていれば、あの店でお土産を買うことができたのだが・・・
またこの村を訪れることがあればその時は、イノシシか野ウサギを食べながら、レストランの主人にジョアンじいさんやマヴィルデの思い出を語ってもらうことにしよう。
a0103335_3132384.jpg

アレンテージョ南部、チーズで有名なセルパという村のコーラスグループ。アレンテージョ民謡はユネスコの無形文化遺産に登録を試み、地元では盛り上がっていたが、文化庁が申し込みしてなかったとか・・・

[PR]
by caldoverde | 2012-05-28 03:23 | ポルトガルの旅 | Comments(11)
a0103335_6243427.jpg
プラゼーレス(快楽)行き市電28番

Part 1

 昨年の夏、アパートの一階に「プラゼーレス・ド・カフェ」(コーヒーの快楽)という飲食店がオープンした。アパートの住民は、数ヶ月間続いた、壁を壊したり床を叩いたりの凄まじい騒音から、やっと開放されるはずであった。ところが本当の問題は開店後だった。
 もともとこのカンポ・デ・オリーク地区は飲食店が過密気味の激戦区である。新参者は、隣がスーパーという、かなり有望な客数の見込める立地にあるアパートの店舗部分を買い取り、上をカフェ、地階をレストランに改装した。
 メニューはどうってことのない超平凡なポルトガル料理であるが、金曜日の夜の音楽のライブと大人数のパーティ可能を目玉に売り込みを始めた。ポルトガルの飲食店は基本禁煙だが、HPによると地下のレストランは最新の換気設備を備えた快適な喫煙席とうたっている。

 金曜日の夜はエレベーターホールに、魅了される程でもない歌声の聴きたくもない歌がエコーつきで響き渡り、拍手と歓声が各部屋に聞こえてくる。それが夜中の12時過ぎまで続く。飲食店を開くとは聞いていたが、音楽をやるとは聞いていない。当然住民は怒った。苦情が多かったのか、思ったほど集客効果がなかったのかは知らないが、そのうちライブはやらなくなった。それでなくとも特に週末は遅くまで営業し、入り口付近ではいつまでも客がたむろし大声で話すので、業を煮やした道路側の住民は何度か警察を呼んでいる。

 開店以来、浴室の中の換気口から、ニンニクや揚げ物の臭いが漂うようになった。私の部屋はそれほどひどくなかったが、7キロの巨大猫ガト君(ポルトガル語で猫)の飼い主の隣のおばさんは、部屋中充満する油とニンニクの臭いを少しでも軽減させようと換気口を雑巾で塞いだ。上階の住民からは、せっかく洗った洋服やシーツが臭くなったと苦情が出た。

 そして夜中にズォーンという重低音が壁や床はもとよりベッドマットや枕まで震動させ、眠ろうとしている頭と体にいらぬ刺激を与え睡眠を妨げるようになった。何かモーターのようなものが断続的に動いてそれが建物全体を震動共鳴させるのだ。しかも明け方の4時から開店の7時にかけてブォーンブォーンと音の波は大きくなる。数種類の機械が動いているようだ。全然熟睡できない。これは拷問である。
a0103335_6203410.jpg
「夜眠れなくて昼寝してるんだ!」(ガト氏談)

 おまけに、夜中閉店後の掃除の音が階上に筒抜けである。椅子やテーブルを引き摺るギギギという耳障りな音やガタガタ動かす音が聞こえ、今どんな作業をしているのか手に取るように分かる。そればかりではない。ごみは市の清掃局が各建物や事業所に資源別の三つのごみ箱を貸与し、曜日によって今日はプラごみ、明日は普通ごみというように夜間に分別回収し、ごみ箱は日中は建物の中に仕舞うのがルールだが、この店の三種のごみ箱は建物の外に置きっぱなしになっていて、そこに通行人もゴミを突っ込んでいくので付近が見苦しく汚れている。

 アパートにこのカフェができる前はめったに騒音で悩まされることはなかった。空き店舗にテナントが入って良かった、いつでもコーヒーが飲めるようになって良かったと思ったら、とんでもない環境破壊を招いていたのである。

 何人かの住民は警察や市役所に苦情を申し立てた。管理会社と住民との会議も2月、3月、4月と3回も行われたが、いずれもカフェの関係者は現われなかったそうだ。会議はオーナーだけが参加するので、借りている住民に参加資格はない。しかし実際に迷惑を被っているのは住んでいる借り手だ。なぜ皆黙っている?!

 私は怪しいポルトガル語でアンケートを作り、エントランスにある各家の郵便箱に入れた。すぐに返事が来たのは15戸のうちたったの3軒だった。しかし40年このアパートに住んでいるガト君のおばさんが一軒一軒訪ねてアンケートの回収に協力してくれた。彼女も下のカフェには怒り心頭だったからだ。彼女は既にカフェ側と直接話をしているが一向に改善されず、あまりにも客が騒がしく騒音がひどい時に警察を呼ぶこと数回、役所にもメールで苦情を送り、知り合いの弁護士にも依頼していた。私たちは初め猫をきっかけに話をするようになったのだが、次第に共通の敵と闘う戦友になっていった。

 階下のカフェが発生源と思われる騒音と臭いに関するアンケートは、15戸中11戸から回答があった。中には怒りを顕にした答えもあった。どの家も騒音・震動か臭い、あるいは両方に悩まされていた。私はアンケートのコピーを管理会社とリスボン市警と市役所に持って行った。
 奇妙なことに、会議の前や、警察を呼んだ後は一旦静かになり、その後騒音がさらにパワーアップして再開する。偶然だろうか、故意だろうか。管理会社の人にそれを話すと、仕返しなのかしらと言っていたが、この問題に限らず、管理会社は、2台とも故障しているエレベーターやデジタル化後のTVアンテナの設置などの問題を、本腰を入れて解決しようとする姿勢が全然見られず、カフェの人間と通じているのではないかという疑いさえ生じてきた。
a0103335_6181856.jpg
店の前で抗議活動を行う自転車おじさん
(実はプラカードの内容は「俺は死ぬまでベンフィカだ」)BENFICAはリスボンの名門サッカーチーム


 遂に先週、市の方から騒音調査に来たという2人の男性が我々のアパートにやってきたが、おバカなことに、最初にカフェに行って騒音を調べたそうだ。当然、機械のスイッチを切るとか出力を最小にするとか対策を講じたらしく、その日は特に問題なしという調査結果となった。また来るそうだが、ガト君のおばさんは次回は絶対に週末に居住部分を先に調べるようにと強く申し入れた。彼女は彼らがカフェの放った偽検査技師である可能性も視野に入れている。例によって彼らが来た後の3日間は、未だかつてない程のボリュームの騒音が部屋中に響き渡った。

 ガト君のおばさんが個人で依頼した弁護士の調査によると、あろうことかこのカフェは営業許可を持っていないらしい。屋上に設置された排気設備はその杜撰さを物語っていた。屋上の物置の屋根に上った私はとんでもないものを見た。大きなアルミの管がごろんと屋根の上に乗っかっている。その陰には大きなアルミの箱があり、蓋が床に投げ出された状態で中身が見えている。箱の中では大きな円筒状のものが轟音をたてている。排気用モーターだ。こいつが騒音の元凶だ。箱の上部はじょうごのような形の金属の筒が溶接されていて、その開口部からものすごい勢いで熱気と揚げ物の匂いが吹き上げている。調理場から吸い上げた空気だ。屋根の上に転がっているアルミ管はじょうごと結合して、ある程度の高さの煙突になるべきものだが、文字通り途中で投げ出されている。日本でも手抜き工事が問題になるが、ポルトガルもすごい。
a0103335_6164349.jpg

 今宵も眠れぬ夜を迎えることになるのだろうが、市役所は今後どのような検査や指導を行うのか、カフェはどんなリアクションを取るのか、そして我々住民は静かな夜のためにどんなアクションを起こすべきか考えると、最近はイライラは軽減し退屈しなくなった。それを「快楽」と呼ぶにはあまりにも隔たりがあるが、不快指数100%から99%には下がったと感じられる。

Part 2

 検査技師が来た数日後、知らない番号から電話がかかってきた。男性がたどたどしく私の日本名を尋ね、市の環境課の者であると名乗った。近日中に騒音を測定するという知らせだった。まず夜20~23時の間、住居の最も騒音のひどい場所で2回測定をする。次にカフェには知らせず、抜き打ちで店の騒音を測る。その後店の機械を止めた状態で再度測定し、通常の騒音とミニマムの騒音の差を調べる。私の貧弱な聞き取り能力で理解できたのは大体こんな内容だった。

 私の部屋での検査は6月金曜日の夜9時半、翌週の土曜日の夜9時半に行われることになった。その後に行われる店の検査は、土曜日の検査時に日時を取り決めることになった。近所の人も立ち会ってよいか聞いたら、可能であるという。私の家の階は2階(日本式の3階)で、他の階の方がひどい騒音の可能性も大いにあるので、住民に声をかけてみようと思う。しかしどこから情報が漏れるか分からないので、時期と人は慎重に選ばなければならない。市の環境課の検査技師のペドロさんと同僚の二人で来るそうだ。この前不在中に来た別の検査技師は、市から来たと自称していたが身分証明書のようなものは提示しなかったそうなので、貴方達は身分を証明するものを携帯してきますか、と尋ねると、ペドロ氏は市の元で働いているという身分証明書を持って行く、また前日に確認の電話を入れる旨を述べた。前の検査技師はますます怪しくなってきた。(たぶん続く)
a0103335_6293550.jpg
古代ローマの遺跡のようなプラゼーレス(快楽)墓地
[PR]
by caldoverde | 2012-05-18 06:52 | 生活 | Comments(7)