ポルトガルの食べ物、生活、観光情報


by caldoverde
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

<   2015年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

a0103335_22594849.jpg
お土産に頂いた島のアボカド

3日間だけの島の滞在もあっという間に最終日。初日にレストランで会った91歳の老紳士の家を訪ねた。島の名家に生まれ、コインブラ大学で学び本土のポルトガル銀行に勤めた後、故郷で余生を過ごすレオポルドさんは、自宅に人を招待し、自分が所有している本などを見せて島の話をするのを楽しみとしている。広い屋敷にはアボカドの果樹園があり、他の島にも売っているそうだ。この島の人は甘くない果物は好きじゃないのであまり売れないが、品質は上々との事。食べ方を紹介し、グラシオーザのアボカドだというシールを貼るとか、工夫すれば売れると思うが…

a0103335_22594885.jpg
ブドウも質が良さそう

昔はロバの島だったグラシオーザ島は他のアソーレス諸島の島々同様、牛の島になった。グラシオーザ島のチーズは淡黄色のセミハードタイプで、シャープなサン・ジョルジェのチーズに比べ、まろやかで食べやすい。リスボンのデパートでも手に入れる事ができるが、やはりデパートのお値段である。サン・ジョルジェ島の工場でチーズを買ったらあまりにも安かったので、グラシオーザの工場直営店にも立ち寄りたかったが、残念ながら時間がなかった。次回は買いに行くぞ。

a0103335_22594971.jpg

乳牛だけでなく、肉牛もたくさん飼育されており、ロバ牧場のそばでも美味しそうな赤牛の群れを見た。グラシオーザ島の最終日は地元の牛のステーキと決めた。
タクシーを呼び、以前タコを食べた事のある「キンタ・ダス・グロッタス」というレストランに行ってくれるよう頼んだ。その運転手はかつて私にそのお店を推薦した当人なのだが、彼によると最近経営者が代わったという。昨日会ったロバ牧場のフランコさんも夜にここで食事会があると話していたので、それほど内容は変わっていないと考えたいが…

a0103335_22594991.jpg
ニンニクと赤ピーマンがアソーレス風

飲み物はグラスワインの赤を頼んだ。色が薄く酸っぱくていかにも自家製、密造酒という感じだが、グラシオーザ島の赤ワインは生産量が非常に少ないので味はともかく珍しいものだ。

a0103335_22594976.jpg
モランゲイロと同じタイプの地酒。色が薄くて濁っているところがいかにも自家製。

前菜は揚げたチーズとメロンのジャム。熱々の揚げたてから少々時間が経っていたが…美味いじゃありませんか!

a0103335_22594942.jpg
カリッと揚がったチーズに甘いジャムがよく合う

メインのステーキは、ミディアムの焼き加減を頼んだ。ポルトガルの牛肉は、赤身なので生焼けの方が柔らかくて美味しいのだ。ところが来たものは、しっかり中まで火が通っていて、噛みごたえ満点のウェルダン。肉自体は悪くないと思うが、私の欲しいのはこれではない。わざわざタクシーで来たのに。ワインが空になったので、お代わりを頼むついでに、肉が焼きすぎて硬いと文句を言った。焼きが甘ければ、焼き直しを頼めるが、焼き過ぎは元に戻せないので、言うだけ言ってみた。そうしたら、さっきの不味い自家製ワインよりいくらかましなものが来て(市販のワイン)、給仕の女の子が別の肉が欲しいかと聞くので、クレーマーになるのは嫌だったが、別の肉を頼んだ。今度はちゃんと肉汁の滴るミディアムの状態で、より柔らかくデリケートな味となった。もっと欲を言えば、 肉の嵩が厚かったらなあ。そうすれば外側はこんがりで中も熱いけど生焼け、という理想的な状態になると思うのだが。

a0103335_22595022.jpg
こうでないと

その事をタクシーの運転手に言うと、アソーレスの人はしっかり焼いた、硬い肉を好むだそうだ。最初の肉はここではミディアムだったのか…クレーマーになってしまった。

a0103335_22595013.jpg

以前来た時は、デザートを省略して店を出る際に、ガラスケースに並べられた甘い物を目にして激しく後悔したので、今度は絶対コテコテのプリンを食べるんだ!と決意していた。残念ながら私の記憶にあったあのプリンらしきものはメニューには無かったが、給仕の女の子が推すパッションフルーツのババロアは悪くは無かった。

a0103335_22595057.jpg
民家の塀の上に飾られた法螺貝のように、ゆったりした歩みのグラシオーザ島

3年前にグラシオーザに来た事がある、と島民に言うと、全く同じでしょうと言われる。確かに見かけは変わっていないものの、このレストランや、カラパッショ温泉のように微妙に変わっているものもある。フランコさんのように、変えようと頑張っている人もいる。大事なのは島の価値を島の人たちがもっと認める事ではないだろうか。補助金頼りの酪農や、夏の観光収入だけでなく、島にはもっとポテンシャルがあると思う。昔はこの小さな島にピアノを所有していた家庭が驚くほどあり、音楽が非常に盛んだった。今もグラシオーザ島のカーニバルは他島から見に来る人々もいる程だという。インターネットの普及によって世界中のあらゆる情報が入る時代だが、発信する人がいなくては、知られないままだ。でも無理しない、頑張らないところが、安らぎを与えてくれる、それがグラシオーザ島の大きな魅力と言える。貧しい島から変わって欲しいが、素朴な島から変わって欲しくもない。また数年後訪ねてみようか。

a0103335_22595029.jpg
これも食べたいし。カサガイ。

[PR]
by caldoverde | 2015-07-12 22:39 | ポルトガルの旅 | Comments(2)
a0103335_21462709.jpg

グラシオーザ島は20世紀初めまでロバの島と呼ばれ、ロバを育て他の島に売っていた。コビトロバと呼ばれる独特の小型のロバは、イタリアのトスカーナ地方のロバに近く、どちらもアラブ人が北アフリカからヨーロッパに持ち込んだものがルーツだそうだ。元々砂漠の地方生まれのこの動物は、アソーレス諸島9島中2番目に乾燥したグラシオーザ島の気候が合っていたのかもしれない。しかし農家が助成金の出る酪農へと転換したり、島に見切りをつけてアメリカやカナダに出稼ぎするケースが増え、それに伴ってロバの数も激減し、今では数十頭しか残っていない。

a0103335_21462780.jpg

このグラシオーザ島のロバを保護し、血統を守ろうとしているイタリア人がいる。フランコ・チェラオロさんは、元々演劇やオペラ、映画の美術監督で、私も見たことのある「薔薇の名前」等有名な映画も担当し、その分野では高名な方らしい。彼はリタイアしてグラシオーザ島に移住し、家と土地、そして御用済みになったコビトロバを買い入れ、その飼育と繁殖を試み始めたという、ちょっとドン・キホーテ的な人物だ。

a0103335_21462805.jpg

身長は1mほど

牧場に飼われているコビトロバの毛色は、茶色もあれば、まだら模様もあるが、灰色の体に、首の周りの黒い筋、脚の先に細い縞模様が入るのが典型的。この特徴がはっきりした個体がコビトロバの純血種として、最近ポルトガルの固有種と認定された。農家でも獣医でもない一外国人の努力によって、コビトロバは絶滅寸前から救われたのである。

a0103335_21462829.jpg

フランコさんの家は築400年、5棟の小さな家がくっついた長屋のような建物だ。昔は長屋に全部で30人が住んでいたそうだが、今はフランコさんと彼のパートナーの2人だけになってしまった。集落全体では住民は100人もいたのだが、多くの家は廃墟となり記憶と共に風化している。フランコさんは庭に様々な果樹を植え、部屋の幾つかをバカンス用のアパートとして改装し、旅行者にロバとの休日を楽しんでもらうことも企画している。ロバやアソーレスの生態系に興味のある方は是非どうぞ。

a0103335_21462826.jpg

ロバに乗って散歩したいというリクエストに応じてくれたフランコさんは、そのアクティビティーにおいてはまだ新人、いや新ロバのシコという雄を選んだが、シコはロバらしい頑固さを発揮し、鞍を付けるのを手こずらせ、私が乗れば後戻りしたり止まったりと、さっぱり人間の言うことを聞かなかった。ロバ車も購入し、道具を仕舞うガレージの増設も計画し、将来の観光資源となるべく準備中のフランコさんであるが、まずロバの調教から始めないと。

a0103335_21462904.jpg

くつわを壊し、挙句に脱走したシコ

よそ者ゆえに、アソーレスの問題点も鋭く指摘するフランコさんであるが、毎日見る夕日が一つとして同じものではないという事を感動を込めて語っていた。アソーレスの自然は、芸術の国イタリアの舞台美術家をも飽きさせぬ、偉大な芸術作品なのだ。

お昼はフランコさんお勧めの、フォウガ(暇)と言う名の小さな港の小さな食堂で、アブロテイアという魚のフライを食べた。店のおばさんが正直に、これとこれは冷凍だけど、これはフレッシュだと教えてくれたのが、そのアブロテイアだった。カリッと揚がった衣に所々塩が効いて、淡白な魚の味をよく引き出している。

a0103335_21462908.jpg

その後はカラパッショ温泉でまったりするはずだったが、7月15日まで無料キャンペーン中の温泉プールでは中高生男子がしぶきを上げて泳いだり潜ったりして遊んでいるので、彼らが出るまでしばらく辛抱しなくてはならなかった。無料にするといい面とそうでもない面があるものだ。

a0103335_21462932.jpg



[PR]
by caldoverde | 2015-07-12 21:28 | ポルトガルの旅 | Comments(7)
a0103335_20464576.jpg

赤いタマネギ型の屋根を持つグラシオーザ島の風車

九島全島を征服した後、昨年はお休みしたアソーレス諸島の旅は第二ラウンドに入り、グラシオーザ島の再訪から始まった。アソーレス諸島9島中、1番か2番目に地味な感じの島なのだが、なぜか惹かれる。食べ物が美味しかったのもあるし、人々が素朴で感じが良かったのもあるが、今回の目的は、前回も行ったカラパッショ温泉と、ロバ牧場を訪れることであった。昨年末にポルトガル北部のミランダ・ド・ドウロにミランダロバを見に行ったが、グラシオーザ島にも絶滅危惧種のコビトロバ(burro anão de Graciosa)を保護している協会があるのを知り、ぜひ訪問し、できればロバの背に乗って島を散歩したいものだと常々思っていた。

a0103335_20464560.jpg

今回拠点としたのはプライア(海岸)地区

春頃から時々アソーレス航空SATAのサイトで運賃をチェックし、行くか行くまいか悩んでいるうちに、急に値段が上がり、座席数も残りわずかになっていたので、えいやとばかりに購入してしまった。6月半ばのことである。ケチって一番安い日のチケットを選んだら、2泊3日となった。こちらの人にとってはあり得ない短い休暇らしい。

a0103335_20464516.jpg

宿はネットで評価の高かった、プライア地区の「カーザ・ダス・ファイアス」を予約した。島唯一の砂浜と自然保護区となっている小島が見える港を前景に、島の最も重要な観光地であるカルデイラ山を背景にした抜群の立地にある、このトゥーリズモ・ルラル(民宿)は、溶岩を積み上げた伝統的な漁師の家を改装したものだ。

リスボンの5つ星ホテルをも凌ぐ快適な設備は、素朴な外観からは想像できず、嬉しい驚きだった。初日は他に宿泊客はいなかったようで、広いジャクジーバス付きの部屋で、リスボンでは味わえない静寂と解放感を満喫した。

a0103335_20464568.jpg


a0103335_20464650.jpg
初めはシャワーだけの部屋だったが、バスタブ付きを希望したら、ジャグジー付きの部屋に替えてもらった。ラッキー!

a0103335_20464631.jpg
カマも美味しかった

昼ご飯は、以前も来た海岸の前のレストランJ&Jで、同じメニューのボッカ・ネグラ(黒い口)という魚の炭火焼を食べた。カサゴ系の魚で日本のアコウダイがこれに近いと思われる。炭火で焼いたボッカ・ネグラは香ばしく、そのままでも、オリーブオイルをかけても非常に美味。程よい茹で加減の付け合せ野菜も平らげた結果、夕食は不要となった。

残念だったのは、グラシオーザ島のワインが無かったことだ。アソーレスで一番良いワインはピコ島ではなくグラシオーザ島の白ワインだと言う人もいる。ブドウ畑が世界遺産となったピコ島はともかく、狭い石垣の中に植えられたブドウを人の手で摘み取る収穫作業は大変手間がかかるので、どの島でもワインの生産は衰退の道を辿っているようだ。放置されたままのブドウ畑も多い。外国の観光客がボランティアでブドウを摘み取り、その量に見合ったワインが翌年受け取れるような観光農園にしたら良いと思うのだが。

a0103335_20464609.jpg
ホテルのすぐそばには菓子工場がある

a0103335_20464616.jpg

この島で作られる星型のケイジャーダは特に有名だが、他にも色々な種類がある

その店で先に食事をしていた91歳のご老人に話しかけられた。リスボンのポルトガル銀行を退職した後、生まれ故郷のグラシオーザ島に戻り、村の顧問みたいな役職も務めていたそうで、高齢にもかかわらず、冴えた頭脳と若々しい好奇心を持つ人のようだった。家にグラシオーザの歴史に関する本がたくさんあるのでいらっしゃいとナンパ?された。ちょうど島の人に話を聞いてみたかったので、願っても無い申し出ではあるが、求婚されたらどうしよう…

[PR]
by caldoverde | 2015-07-12 20:22 | ポルトガルの旅 | Comments(0)
a0103335_08122289.jpg

王女さま? 巡礼者姿の幼子イエスです

子供の頃読んでいた少女漫画の主人公は、大きな瞳に星がきらめき、ゴージャスな巻き髪、背景にはバラの花が咲き誇っていた。それが少女の理想とする「美」であった。このようなキャラクターは日本の専売特許かと思っていたら、実はすでに17世紀のポルトガルに存在していた。日本よりも300年も早く少女漫画的造形スタイルを確立したのは、ジョゼファ・ド・オビドス先生だ。

a0103335_08122214.jpg

聖アントニオもこんなに麗しく

ジョゼファは、ポルトガル人画家の父とスペイン人の母の間にセビリアで生まれたが、幼少時に父の出身地であるポルトガルのオビドスに移住し、そこで生涯を終えた。父の元で絵を学び、少女時代からその才能を顕した。17世紀という時代において非常に稀な職業婦人で、54才で亡くなった時は、かなりの遺産を残した。

a0103335_08122272.jpg

スイカがみずみずしい

17世紀のヨーロッパは、光と影の対比により劇的な効果をねらうバロック様式の時代。苦悶するキリストや恍惚とした表情の殉教者を描いた宗教画、暗い背景から顔だけ浮かび上がる黒衣の人物画、果物や狩の獲物を写真のように描いた静物画などが、イタリア、スペイン、フランドルで盛んに制作された。ジョゼファの父はセビリアの著名な画家に学んだのだが、スペインではいまいち芽が出ず、ポルトガルに戻った。はじめ娘は父を手伝っていたが、そのうちに作品に自分のサインを入れるようになった。教会や有力者、そして王室からも注文が来た。結婚して家庭を持つ暇がないほど忙しかったと思われる。

a0103335_08122323.jpg

代表作「神秘の子羊」

救世主や聖母、聖人は現実の人間を超越しなくてはならない。その理想形が大きな瞳にバラ色の頬、その周りを取り囲む花々、繊細優美を極めたレースやチュールの衣装で表現される。まさに少女漫画のキャラクターである。

a0103335_08122354.jpg

これも幼子イエスです

ジョゼファの作品は二重の意味で甘美である。彼女は静物画もよくしたが、特に秀逸なのは口の中によだれが湧いてくるような果物やお菓子を描いた作品だ。カステラ、金平糖、ケイジャーダ、復活祭用の卵入りパンなどは、その味や質感まで見事に表現されている。もし彼女が現代に生きていたら、さぞかしお菓子屋や喫茶店から注文が殺到しただろう。

a0103335_08122380.jpg

カステラ‼︎

2015年9月6日までリスボンの国立古代美術館にて「ジョゼファ・ド・オビドス展」開催中

[PR]
by caldoverde | 2015-07-06 07:53 | カルチャー | Comments(10)