ポルトガルの食べ物、生活、観光情報


by caldoverde
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スープの話 その1

 ポルトガルのレストランでは余程の健啖家でなければ、いわゆるフルコースを頼む必要はない。全部食べようものなら胃が破裂して死んでしまう。まず、席に着くとパンとバター、オリーブ、生ハム、チーズ、その店得意の前菜が出される。場合によってはこれだけで満腹してしまう。
 例えばパンにしても、カスカスの軽いカルカッサという丸いパンならそんなに腹は膨れないが、とうもろこしで作ったブロアや、もっちりしたマフラ地方やアレンテージョ地方のパンは結構ズンとくる。しかも美味しいときている。バターにも普通の塩味のほかに香草ニンニク入りのがあるし、イワシやツナ、海老のパテが小さなブラスチックの容器に入っているのを見たら、まだ食べたことがない人なら好奇心で手をつけてしまうだろう。チーズだって豆腐のようなケイジョ・フレスコは生ものなので日本ではまず食べられない。(写真)
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 今ここで食べなければ一生縁がないかもしれない。ガーゼの鉢巻を巻いたアゼイタンやセーラ・ダ・エストレーラのチーズは加熱しなくても中がとろとろのフォンデュー状態で、これをパンに付けて食べたら、もうメインは要らないくらいだ。

 追い討ちをかけるようにニンニクと香草で味付けしたオリーブ・海老の塩茹で・タコのサラダ・蟹味噌のカクテルソース・豚の耳のサラダ・ソラマメのサラダ・赤ピーマンのマリネ・イワシの南蛮漬け・イベリコ豚の生ハムと次から次へと色んなものがやって来る。もう泣き笑いである。あ、どのレストランでもこんなのが全部出てくるわけではないですよ。普通はこの中の何個か、でも店によってはこの何倍かの種類の前菜を常備しているところもある。
    
 だから、形式に従って、前菜、スープ、魚、肉、デザート、コーヒーに赤ワイン、白ワイン、食前酒、食後酒を全部摂取したら、日本人ならその日ばかりか翌日の必要カロリーまで十分満たしているはずだ。それどころかきっと消化不良で眠れぬ夜を過ごすであろう。少なくとも私はそうだ。ポルトガル人も皆が皆、底なしの胃袋を持っているわけではないので、大抵は飲み物と魚か肉料理を1品頼み、足りなければ後からスープを頼むという変則的な注文をする人もいる。

 ところが私が補足的な位置づけに追いやってしまったスープが、実は侮れない美味しさなのである。ポルトガルのスープは多くがポタージュタイプであるが、粉やバターを使わない、野菜ベースのヘルシーなスープである。基本はジャガイモとたまねぎ。これを茹でて軟らかくなったらオリーブオイルを加えてミキサーにかける。ミキサーはカップに移す必要のないハンドミキサーで、鍋に突っ込んでガーっと数秒。そうすると簡単に滑らかなポタージュになる。塩コショウで味付けし、具にほうれん草や、クレソン、菜の花、キャベツを入れて、はいできあがり。ベースはジャガイモ、たまねぎの他にポロ葱、人参、かぼちゃ、豆、蕪、トマト、栗など。コクを与えるためにコンソメや魚介類のだしを使う場合もあるが、良質のオリーブオイルと良質の塩だけでかなり美味しい。具はミキサーにかける前に少し取っておいた野菜や豆、チョリソ、肉、魚、海老、パスタなど無限の組み合わせがある。
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# by caldoverde | 2007-04-13 06:21 | スープ・前菜・酒肴 | Comments(0)
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 ポルトガルの代表料理といえばイワシの塩焼きだ。ポルトガルを巡るツアーにも大抵1度は入っている。場所はナザレ。海の見えるレストランで食べるイワシ。典型的ステレオタイプのメニューだ。でもまずくはない、たとえ冷凍であったしても。これにあったかい白いご飯があれば最高だ。大根おろしが付いていればもう何も言うまい。でもここはポルトガル。郷に入れば郷に従えと言うではないか。せっかくだからポルトガル式に食べようではないか。

 大抵は1人前3,4匹のイワシにジャガイモを丸ごと茹でたのが2,3個ごろんと付いてくる。普通はレタス、トマト、玉ねぎのサラダがセットになっている。ジャガイモがご飯なら、サラダは大根おろしと考えれば良いだろう。日本から持参した醤油をかけるとしょっぱくなりすぎるので注意。イワシには十分すぎるほど荒塩がふってある。これに適宜オリーブオイルやビネガーをかけて食べる。しつこいと思ったら使わなくても良い。十分に味は付いている。 

 ナイフとフォークを使ってイワシを食べる。いったいどこから始めたら良いのか。頭が右側にあったり、背中が手前に、腹が向うになっていたりして、日本の魚の盛り付け方から見るとめちゃくちゃだ。まずこれから直さなければ始まらない。皿の向きを変えたり、魚をひっくり返たりして正しい位置に戻す。慣れないフォークとナイフを使うので、この時点でイワシはだいぶ形が崩れる。左手のフォークで胸びれのあたりを押さえて、右手のナイフを腹に差込み骨と身を分離させる。そのまま右手に力を加えてナイフを浮き上がらせると、皮がちぎれて身がはがれる。背びれが半分くっついてくる。頭としっぽのほうには若干身が残っているが、とりあえず大部分の身は取った。でもそのままでは一口で入らないので、半分に分ける。焦げすぎた皮はナイフでこそげ取る。背びれ、胸びれも取る。ワタも取る。取るとせっかくの可食部も廃棄する部分にくっついていく。イワシは、猫が盗み食いをしたような無残な姿となる。

 ふと、隣のポルトガル人の皿を見ると、実に美しく食べている。まず丁寧に焦げた皮を取る。まるでよろいか何かのようにかぱっと上手に外している。そして細心の注意を払いながら骨から身を外す。残った骨にはひとかけらの身もついていない。まるで額に入れて飾りたくなる程きれいに骨と頭と尻尾が残っている。外したイワシの身はまるで日本の板前さんが魚をおろしたように、皿の別の場所に完璧なフォルムを保っている。そして彼はオリーブオイルを魚の身にたっぷり注ぎ、ナイフで切り身を何個かに分け口に運ぶ。エレガントである。さすがに長い間イワシを食してきた国民だけあると感心したというか、器用な日本人というプライドが自分の食べたイワシの姿のようにぐちゃぐちゃに崩れたというか。いいんだよっ。どうせイワシなんて庶民の食べるもんなんだからそんなに気取る必要なんてないのさ!ところが日本では昨今イワシが高騰し、築地では一匹千円のイワシも登場したというではないか。そしたら高価なイワシはポルトガル人のようにきれいに無駄なく食べるのが正しいマナーになるかもしれない。

 ポルトガルを旅行する際、フォークやナイフの扱いに自信のない方は日本からお箸を持参しよう。更にチューブ入り「もみじおろし」も持って行くと、ポルトガル料理に飽きたとき油攻めにあっている胃をいたわることもできるし、日本料理店に行かずとも現地で手軽に日本の味が楽しめる。

 イワシを食べるときのワインは赤。なぜかと言うと赤ワインのタンニンがイワシの脂っこさをすっきりさせるので、というポルトガル人の解説である。背中の青い魚と赤ワインは健康にも良いような気がする。お試しあれ。
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# by caldoverde | 2007-04-11 18:32 | シーフード | Comments(0)

ポルトガルのパスタ料理

 ポルトガル人は野菜やパスタを茹ですぎる。野菜は色が変わってくたっとなるまで、パスタはすくうと途中から切れるくらい茹でる。胃の弱い人、歯のない人向けの食べ物のようだ。両者とも肉や魚の副菜としての地位しか与えられていないので、野菜や麺類の歯ごたえや味、色、香りを生かし、本来の旨さを味わうという発想はポルトガルにはあまりない。日本のもりそばやかけうどんなどは食事とは見なされないだろう。だからポルトガル人の作るパスタはあまり期待できないのであるが、それでも旨いものはある。イタリア起源なのか、ポルトガル人の発明なのか、マッサーダというマカロニの煮込み料理がある。シーフード料理店によくあるメニューで、魚介類をマカロニとともにトマトベースのスープで煮込み、薬味にコリアンダーを散らしたものである。ポルトガル式のシーフードリゾットのマカロニ版だ。ポルトガルのリゾットはアルデンテではない。米はやわらかく、十分に煮えてなくてはならない。米に芯が残っていたら、文句をつけられるだろう。マカロニも然り。昔、ポルトガルの家庭料理を習っていた友人が、マカロニをどのくらいの硬さに茹でるのか訊いたところ「マカロニが開くまで」という回答だった。

 ところがたまには弾力のあるマカロニ料理を出すところだってある。近所のシーフード屋で食べた、マッサーダ・デ・マリスコス(魚介類とマカロニの煮込み)は珍しくアルデンテだった。スープに入れるような小さなマカロニ、海老が2、3種類、あさり、ムール貝、アンコウがアルミの小さな鍋にぐつぐつ煮立っていて、蓋を開ければコリアンダーの独特の香りが立ち上り食欲をそそる。ふうふう冷ましながら、つるんとしたマカロニを口に入れれば、プリンとした歯ごたえがある。この店のスペシャリティと自負するだけあって、結構いける。

 こういう料理は汁気があったほうが、食感に変化があっておいしい。バスタを食べたら、スープを飲んで、海老や蟹をつついてと。マッサーダやリゾットはちんたらちんたら食べていると、腹は満腹なのに鍋の中身はちっとも減っていないという現象が起こる。パスタや米が汁気を吸って嵩を増やすからだ。まあ、魚や海老の旨みを吸い自らも溶けかかってぶよぶよべろべろになったパスタもそれなりにうまいけど。

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# by caldoverde | 2007-04-11 04:23 | シーフード | Comments(4)
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 ポルトガル料理における盛り付けのセンスのなさにはしばしば呆れる。ただ山盛りに盛って量をアピールしただけで、彩りやバランス、器との調和などどうでもいいようだ。逆にこれらの要素が十分配慮された懐石みたいなものは、ポルトガル人には、値段のわりに可食部が少ないと不評を買うであろう。とにかく実質第一だ。腹一杯になることが重要なのだ。
 
 しかしながら食べ物にはそれ自体に食欲をそそる様々な特徴がある。鮮やかな色、香ばしい匂い。立ち上る湯気、じゅっと焼ける音、ふつふつと現れては消えるあぶく。滑らかな表面に反射する光。そのような、味以外のチャームポイントの欠如した食べ物、第一印象で拒絶反応を起こしそうな、見て絶句するような外観の食べ物は世の中に少なからず存在する。そこを何とか取り繕ってお上品に見せるのも料理人の腕なのだが・・・

 もっと見栄えがよければより多くの人に愛されたはずのものに、雑炊系の料理がある。と言っても、日本の旅行会社のツアーメニューの常連である蛸リゾットとかシーフードリゾットはまだ良い。海産物のおじやは彩りが良く、食欲をそそり、味も見た目に一致する。
 問題は鶏肉、うさぎ、八目ウナギを使ったリゾットだ。これらのリゾットは肉や魚のほかにその血も使う。更に味付けに赤ワインも入れる。それがどのような結果を生じるか想像できるだろうか。


・・・こんなです。
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 八目ウナギは採れるところがポルトガルでは三つの河川だけだそうだ。昔は王様しか食べることが許されなかった貴重な魚なので、庶民はクリスマスなどの祝い事には本物の代わりに八目ウナギを模ったケーキを食べた。ひょっとするとこちらのほうが美味いかもしれない。

 昔、その八目ウナギの棲むモンデゴ河流域の小さな村にある「ミシュラン」推奨のとあるレストランで、その店の名物である八目ウナギのリゾットを食べたことがある。電車やバスを乗り継ぐこと数時間(どこでバスを降りるのか分からず乗り越し、終点まで行って戻った)ようやく星のついたレストランに着き、メニューの中の一番高い料理(当時の値段で約6000円)当店ご自慢のミシュランも推す八目ウナギのリゾットを注文した。待つこと数十分。上品な給仕によってリゾットがうやうやしく運ばれてきた。
 陶器鍋に入った、ぐつぐつ音を立てているリゾットは、まるで地獄の血の池だ。ほとんど黒に近いような暗褐色のドロドロの汁の中に米の粒がうごめき、真っ黒なぶつ切りにされたドジョウ程の太さのウナギが見え隠れしている。こんな不気味で高価な料理は後にも先にも食べたことがなかった。なぜ高価かというと、ただでさえ希少な八目ウナギを、地元の最高級ワインで煮たものだからだ。したがってまずいわけがない。これは美味しいものなのだと自分に言い聞かせながら食べた。食べながら、日本のウナギの蒲焼はなんて美味しいんだろうと思った。そしてこんなに小さいうちに捕獲され、最適とは思えない調理法で食われるウナギを不憫に感じた。

 もし今同じものを食べたら、また違う感想を持つだろう。ウナギの滑らかなゼラチン質の身の弾力、芳醇なワインの香り、うまみを吸った米に、ああ、これこそが王者の食べ物だと感涙にむせび泣くかもしれない。近所のレストランで「八目ウナギリゾットあります(4切れ入り)25ユーロ(約4000円)」という張り紙を見た。宝くじに当たったら、ウナギをもう4切れ追加して注文するつもりだ。いずれにせよ、見た目をどうにかすれば良いのにという意見は変わらないだろう。
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2012年2月12日リスボンのミーニョ地方郷土料理店で食べた八目ウナギリゾット。
不況のため八目ウナギが値崩れしていると漁師は嘆くが、庶民には嬉しい17ユーロでした。

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# by caldoverde | 2007-04-09 23:38 | シーフード | Comments(1)

亀の手(ペルセベス)

 シーフードには不気味な形状のものが多く、そのために敬遠される向きもある。日本ならナマコやホヤ、ポルトガルなら亀の手であろう。何科に属するのか知らないが、黒いゴム管のような腕の先に、まさしく亀の手のような、蟹の爪のような白黒のまだら模様の硬い殻に包まれた突起が数個集まっている。ぶよんとした腕に触るのも、実際は動かないのだろうが見た目が挟まれそうな爪にも触るのもいやだ。その醜い姿は我が身の美味なる事を敵に知らせまいとする大自然の知恵のなせるわざなのかもしれない。ところがポルトガル人はこの禁断の海の果実が旨いことを知ってしまった。いかに効率よく食べるかを習得してしまった。而して亀の手は苦労して醜悪な外観を装っていたのにもかかわらず、シーフード料理店では堂々とイセエビや蟹とタイを張れるほどに出世したのである。

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 さて亀の手が盛られた皿が運ばれてくる。勇気を出して、ざらっとしたしわだらけの黒い腕を片手でつまむ。そしてもう片方の手で爪の部分をぐぎっと折る。このとき生きのいいのはギャアッと叫びながら最後の足掻きで汁をびゅっと出すので驚かないように。そして爪が取れると切り口にはこれまた不気味なものがうごめいている。蝕手の短いイソギンチャクのような中身である。これを今度は自分の爪でちぎれないようにそおっと引っ張り出す。これまた海のものにありがちなぬるっとした触感だ。まだ生きていればこの蝕手があなたの指先にちゅーと吸い付いてくるだろう。上手く引っ張り出すと、中身がびろーんと出てくる。これを口に放り込む。ゴムのような弾力のある歯ごたえ、広がる磯の香り。新鮮なものは口の中でかみちぎっても動いている。

 一つ食べるとさっきまであんなに不気味だったものが、なんと素晴らしい、美しいものに変わっている。最初は遠慮して小さめのものを恐る恐る選んだのに、次には一番でかいやつはどれか探している。小皿にはうず高く爪やゴム管が積みあがる。もう可哀想なほど小さいものしか残っていない。こんなに小さいのに食べちゃってごめんね、と心の中で謝りながら貪欲にも細い中身を慎重に引っ張り出す。もう十分食べたはずなのに、今度はもっと太くて大きいのが食べたいと人間の欲望はきりがない。その欲望を辛うじて押しとどめているのは値段だ。いくらか忘れたが結構高いものです。

※なお記述には誇張した部分もあります。
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# by caldoverde | 2007-04-08 16:23 | シーフード | Comments(2)