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ポルトガルの食べ物、生活、観光情報


by caldoverde
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リスボンから東北へ

 3月11日の朝、ポルトガルの国営テレビのニュースは衝撃的な映像を流していました。泥の中に沈んだ滑走路、建物の残骸と車を巻き込みながら田んぼや住宅地に押し寄せる濁流。船を飲み込み焔をあげながら港を襲う黒い波。

 これら地獄の様な光景が私の生まれ育った宮城県の現況だなんて信じたくない、悪い夢であってほしいという思いと、これから一体東北は、日本はどうなるのかと途方に暮れる気持ちがぐるぐると空回りしていました。宮城県沖地震や震度5級の地震は何度か体験済みの私ですが、それらを何個も集めた力を遥かに上回る規模で自然は襲って来ました。何の警告もなく。

 3月は旅行シーズンの開幕、多くの日本の方がポルトガルを訪れます。この日も空港にお客様を迎えに行きました。既に空港などでニュースを聞いたお客様に一体どうお声をかけたものか悩みました。「良い思い出を作って下さい。」これが適切な言葉だったのかどうかは分かりません。しかし折角の美しい時期に入ったこの国の印象を僅かでも留めて欲しい、そして東北が神戸のように復興を果たしたら、日本が元気になったら、またあの街を今度はゆっくり時間をかけて見に来よう、そう思って頂けることを切に願いつつ…
 なぜなら、リスボンは大震災から復活した都市だからなのです。
リスボンから東北へ_a0103335_6534085.jpg
地震で崩壊したカルモ教会はそのまま保存され、考古学博物館に。

 1755年11月1日午前10時頃、推定マグニチュード8.5という大地震がポルトガル南西のサン・ヴィセンテ岬沖で発生した。当時リスボンはヨーロッパの中でも人口密度の高い大都市だった。街は中世来の細い路地の上に無秩序に建てられた住宅が、サンジョルジェ城のある丘からテージョ河に向かって広がっていた。その日は諸聖人の日、教会にはミサに参列する信者が集まり、家に残っていた者も祭壇にロウソクをともしていた。激しい揺れは10分間も続いた。石やレンガで出来た建物は崩壊し、倒れたロウソクは大火災を引き起こした。生き延びた人々は崩れ落ちる建物と火から逃れるためテージョ河に逃げた。全ての船は満杯になった。そこへ津波が襲いかかり、船も人も飲み込まれた。被害はポルトガルのみならず、北アフリカ、スペイン南部にまで及んだ。

 人類史上、詳細な記録の残る最初の大天災であるリスボン大地震は、その後の災害に対する行政のあり方において、また近代の地震学の発展において、明確な指針を示しました。時の国務大臣であった後のポンバル侯爵ことカルヴァーリョ・デ・メロは独裁的権力を駆使して、市街の再建、治安の安定、必要な物資や人員の確保、疫病の予防のために、数々の、実に有効な法令を発布し、リスボンを瓦礫の山から再び宝石のような街に再興させたのです。敵に対する冷酷残虐な姿勢は、多くの憎しみも生み出したのですが、今は観光名所となっているバイシャ地区やリベルダーデ大通りを通る度、彼の業績の偉大さには感銘を受けざるを得ません。
リスボンから東北へ_a0103335_6551024.jpg
めちゃくちゃなリスボンにしては、秩序のあるバイシャ地区の町並み

 もし今日本にポンバル侯爵がいたら、どの様な指揮をとっていただろうか、虚しい空想ではありますが、もっと効率良く事が運んだのではないか、責任者は厳罰を免れなかったのではないかと、歯がゆい想いです。

 今は遠い歴史の出来事として記憶の隅で埃をかぶっている18世紀のリスボン大地震。地球の裏側で起きた災害に心傷める優しい人々よ、あなた方に再びこの様な悲劇が起きないことを祈ると同時に、どうか先達としてその貴重な経験を日本にも伝えて欲しい。人類共通の遺産として。
リスボンから東北へ_a0103335_6571134.jpg
廃墟と絶景が眺められるサンタ・ジュスタエレベーターの橋


ブラジルのミュージシャン、イヴァン・リンスが歌う「上を向いて歩こう」7月のポルトガル公演でも歌ってくれるといいなあ。
Commented by miwakof at 2011-04-07 16:45 x
こんにちは。ご無沙汰しています。
画像で見る、という点においてはリスボンも東京も変わりないかもしれません。衝撃でした。
caldoverdeさんの、ご実家の皆さんはご無事でしたか?
我が家の老親は、驚くほどの頑張りと強さを見せてくれました。
東京も、かなり揺れましたが、震源地近くは、どれほどだったかと思います。
まもなく震災から一カ月。
まだまだ寒い東北、少しでも早い復旧復興を願うばかりです。
Commented by おっちゃん at 2011-04-08 05:27 x
東北では昨夜も震度6の地震がありました。まだ枕を高くして眠れません。国内でも花見や旅行は自粛ムードなので、そちらに行く人は少ないかもしれませんね。でも、世界中の皆様からの援助は日本で連日報道されてます。感謝にたえません。世界が近くなった気がします。
Commented by caldoverde at 2011-04-08 07:02
3月11日よりも激しい揺れを感じたところもあったそうで、本当にいつ終るのか不安な毎日のことでしょう。明けない夜はないことを信じます。
1755年のリスボン大地震に関する本を読むと、驚くほどの共通点や、見習うべき点が見られます。ポルトガルは原発はもたず、太陽熱や風力などの代替エネルギーによる電力が37%だそう。エコな国です。
Commented by pato at 2011-04-21 22:50 x
早く、いちご煮を笑って食べられる日が戻ってくると良いなと思います。
Commented by snow-white at 2011-04-22 13:08 x
こんにちは。今放映されているエステーという会社の消臭剤「消臭力」というCMのロケ地がリスボンです。震災後に撮影されたそうです。商品のサイトにはCMの動画と共に撮影のエピソードも掲載されていて、リスボン地震についても触れられていました。地震があると時々リスボン地震の事を思い出し、ポルトガルは古い建物が多いけど大丈夫かなぁ、皆も備えをしてくれているといいなぁと思っています。
Commented by caldoverde at 2011-04-22 21:50
可愛い男の子が元気良く「しょ~しゅ~りき~」と歌うCM、実は私も少しだけ関わりました。色々なロケ候補地がありましたが、リスボンらしい風景の場所が選ばれましたね。最近は「リスボン大地震」というキーワードでこのブログが検索に引っかかっているようです。これを機に日本とポルトガルが地震対策について意見を交換する機会が生まれることを願っています。
Commented by Moreia at 2011-04-27 06:09 x
多分、川北稔阪大教授のインタビューで「リスボン大震災」を初めて知った日本人も多いんじゃないかな。その日にマリー・アントワネットが生まれてるんだよね。
専制政治家だったポンバル侯爵がいたからこそ、再建できたんだろうと思うわ、今じゃ頼れる政治家がいないね。ベラルドさんとかジョアン・ジャルディン(マデイラの田中角栄w)の方が頼りになるかもしれない。毎日、日本のニュースを読むのが辛いです・・・・
Commented by caldoverde at 2011-05-26 22:04
ロケ地は、男の子はケーブルカー、グロリア線の上にあるサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台、おじいさんはカイス・ド・ソドレ駅近くのサン・パウロ通りです。市電25番が走っています。
Commented by caldoverde at 2011-06-09 04:20
ポルトガル語に目覚めるきっかけとなったブラジル音楽の巨匠、イヴァン・リンスによる「上を向いて歩こう」の動画をアップしました。涙なしでは見られない・・・
by caldoverde | 2011-03-13 18:51 | カルチャー | Comments(9)