阿蘇列島旅日記5 サンタ・マリア島4 太陽の島おひとりさまクルーズ
2011年 08月 02日

ヴィラ・ド・ポルトの港を出て、島を時計回りに航行した。空港のある西側は平原がすぱっと垂直に海から立ち上がる断崖絶壁。海水浴のできるような砂浜はない。崖は黄色っぽい地層がむき出しで、植物はほとんど見られない。このような海岸線が島の約4分の1を占めている。単純に計算すると1時間くらい同じ景色を見続けたことになる。サンタ・マリア島一周豪華クルーズは出だしで既に退屈気味になった。
ヴィラ・ド・ポルトの側に浮かぶ黄色い島

それでも途中いくつか小島がある。小島にはほとんど植物はなく、海面付近に海藻がへばりついているだけであるが、海鳥の繁殖地になっている。アソーレスでよく見られる鳥はガラジャウという頭が黒く翼が白とグレーのシャープなデザインの鳥と、カガーロというかもめがドバトになりそこなったような醜いアヒルの子みたいな鳥が代表的である。空港近くの小島はその2種族がきっちりと住み分けているそうだ。
黒い小島には鳥の白い〇〇が
この辺では鯨やイルカはよく来るのかと船長のジョアンさんに聞いたところ、今年は水温が低いのでほとんど見ないということだった。哺乳類は水温の変化に敏感なのだろうか。アソーレス諸島で最も乾燥したサンタ・マリア島の別名は「黄色い島」、しかし住民は「太陽の島」と呼びたがる。こちらの方が断然イメージが良い。確かに日照時間は他の島に比べて多いが、7月で気温も水温も22~3度では人間にもイルカにも海水浴には肌寒い。「太陽の島」は誇大広告気味か。

コロンブスがこの島を見つけたときは、それこそマリア様がお助けくださったと喜んだことだろうが、フローレス島のように真水が豊富でも、サン・ミゲル島のように温泉の熱で熱帯の植物が豊富でもないこの島に上陸した船員達は、水や食料を求めてさまよい苦労したのではないだろうか。

島の北側から東南にかけての海岸線はギザギザのリアス式で、波も荒くなる。途中トイレに行きたくならないように、朝食はコーヒーと小さなケーキだけで済ませ4時間のクルーズに備えたが、揺れがひどくなるにつれて気分が悪くなってきた。写真や動画を撮ろうとカメラの焦点を合わせようとすると、よけい酔いが襲ってきた。喉も渇いたので水を飲もうとしたら、水が胃の中に入らずに出てしまった。ついでに胃の中の物もお供した。波に揺られたせいか、下腹もグルグルしだした。ジョアン船長にどこかに船を泊められないか聞いたが、「難しいね」と却下された。気分が悪くなった時や景色のいいところではエンジンを止めて休んでくれたが、操縦席から出るとエンジンの重油の匂いがまた気持ち悪さに拍車をかける。大変なクルーズになった。他の人を誘わないでよかった。コロンブスやヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン、ザビエルはこんな苦しい思いを何ケ月、いや何年も味わってきたのかと考えると、それだけで偉大な人々であった。
ご一緒に酔いしれてください
昨年行ったフローレス島ほどの景勝はなく、船酔いで大変だったが、島を船で一周するのはたっての希望だったので後悔はない。海の水は透明で美しく、スキューバダイビングができたらどんなにか楽しめただろう。アソーレス諸島の中で最もマイナーな島、サンタ・マリア島は4日間ではその魅力を十分知ることができない、噛めば噛むほど味わいが出てくる、そんな島なのかもしれない。

島最後の食事はふたたび居酒屋「オ・ジョルジェ」でアボテイアという魚を食べた。名前からして熱帯魚風で、一昨日のヴェジャンのような赤魚系の美味しい魚を期待した。また大きな頭付きで出てきたが、ペスカーダというごくありふれた魚によく似た味で、ちょっと期待はずれだった。塩を振って冷蔵庫に入れたものをまた塩水でゆでたのかと思うほど、かなり塩辛かった。フライに頼めばよかった。日曜日は魚市場は休みなので新鮮な魚を期待するのは間違いだった。でもワインは良いので許そう。

さらば、サンタ・マリア島!

船長は実はリスボン近郊の人で夏休みに遊びがてらバイトしてる風でした。去年の船長は島民でプロのガイドだったので、面白かったのですが。

