号外 中村勘三郎さん逝く
2012年 12月 05日
ホテルでKさんから本名で紹介された勘三郎さんは、とても腰の低い、全く気取りのない、大変気さくな方だった。何を見ても面白がり、何を食べても「美味しい、美味しい」と喜んで下さった。
ファドの店で、ある歌手の歌に感じ入った勘三郎さんは、食事代を超えるチップを渡そうとした。言葉を知らなくても優れた感受性を持つ人は、心で理解できるものだ。
リスボン近郊の日本レストラン「彩 」で食事をした際、ご夫妻の写真を撮らせて頂いた。その写真は仙台の実家に送った。その時「彩 」の大将は帰国中で会えなかったので、勘三郎さんからは、異国で良い仕事をしている大将に頑張って下さい、と伝えるよう言付かったが、その後大将は亡くなってしまい、今は「彩」は無い。
観光の後、どうぞお友達を誘って夕食をと招待された。当時近所に住んでいた漫画家のヤマザキマリさんに援軍をお願いした。二人の天才の邂逅だった。勘三郎さんが旅先で読んでいたガルシア・マルケスの「百年の孤独」はヤマザキさんの愛読書だったこともあり、二人はすっかり意気投合し、後日再び「彩 」で食事する機会が設けられた。この時は彼女のイタリア人の夫君も招待された。勘三郎さんはイタリアンブランドの洋服を召して「僕、イタリア好きなんですよ」と旦那さんに話しかけると、研究者の彼は「私はイタリアが嫌いです」と答えていた。ぶはっ。それにもひるまず、座を盛り上げる勘三郎さんはさすがに役者だ、人を楽しませるエキスパートだと感心した。
奥様も梨園のご出身で、こういう機会でもない限り接点のない世界の方なのだが、凛とした雰囲気ながら勘三郎さんの食べる蟹の殻を外したりと細やかに夫を気遣う様子が印象に残った。また私がポルトガルでは店で客が「オブリガード」と礼を言いながら支払うことを、日本ではあまり無いこととして話題に挙げたら、それは普通よと仰った。真の名門名家の人々は、謙虚で周りに気を配るものなのだと思った。
Mr.&Mrs波野としてポルトガルに休暇を過ごしに来た勘三郎さんは、知識ゼロの私に歌舞伎の魅力、そして役者中村勘三郎の魅力を強烈に印象づけた。いつか本物の舞台をと思っているうちに、突然永遠に引退してしまった勘三郎さん。しかしこれからも不世出の名優として愛され続けることと思う。ご冥福をお祈りします。