ミランダ・ド・ドウロの旅 2
2014年 12月 26日

ミランダ・ド・ドウロに来たらぜひ見ようと思っていたのは、博物館だった。23日の夕方にバスが着いて、ホテルに入った後、夜の旧市街を散歩した。街の中心の広場に面した博物館はちょうど閉館するところだった。明日ゆっくり見ようと、開館時間や休業日を確かめて、24日の朝9時に再び博物館に行ってみたら、人の気配がない。途中観光案内所に寄ったら「慣例により24〜26日は休業とする。市役所」という内容の張り紙があったので嫌な予感はしていたが。公式には24日は開いていることになっている。Xマスイブの見学客は私くらいであろうことはわかるが…しょうがないので、町の古い建物をじっくりと観察することにした。

現在は「ミランダ語会館」になっている中世に作られた石の建物には面白い飾り?が付けられている。クレヨンしんちゃんがやるように空中に突き出した尻と、変な顔の彫刻だ。なんでも尻はスペインの方角に向けられていると言う。


また昔の旅籠にはワイン樽、葡萄、酔っ払ったような人の顔の彫刻がある。この宿では旅人を暖かいワインで迎えたのだそうだ。彫刻が看板になっているのである。


遠くからもよく見えるカテドラルは16世紀の建築好きの王様が作った立派なものである。中にはこの町の守護神である幼子イエスの像が祀られている。この子供のキリストは、シルクハットをかぶり、派手な衣装をつけていて、顔が何となくのほほんとしている。はっきり言って手品師のようである。どの土産屋にも様々な衣装の幼子イエスの人形があり、ぜひ本物を見たいと思ったが、カテドラルはこれまた冬季休業中だった。


ドウロ河に降りる長い折り畳みの坂道は、ダムの上を通りスペイン側に抜ける。途中まではウォーキング用の歩道があるが、それから先は誰も歩く人はいない。ほとんど直角に近い崖に沿っているので、数百m先で折り返してまた数百m下ってまたターンを繰り返すという相当長い道のりだ。近道らしき道や階段を降りてみたが、いずれも途中で行き止まりで、ダムまで行くにはやはり車道を行くしかないようだ。引き返す途中、渓谷の絶景に加え、可憐な高山植物のような草花や、複雑に褶曲した地層などを観察するのもまた楽しかった。





昼食はこの地方の民族衣装の名前を店名とした「カパ・ド・オンラス(栄誉のマント)」でバカリャウ(鱈料理)を食べた。ポルトガルのXマスイブのご馳走はバカリャウなので、私も伝統に従って鱈を食べることにした。客は私一人、それに対して支配人、給仕、調理人と少なくとも3人が私にサービスするので、申し訳ないような気持ちになったが、後から姉妹とその娘と思しき若い女性3人が入ったので、開けてて良かったねとホッとした。



午後はタクシーで、自力で行くことができなかったダムや町の周辺を走ってもらった。運転手も、ホテルのおじさんも、土産物屋の主人も、訛りの強い言葉で話すので、ミランダ語ですか?と聞くと、いや、普通のポルトガル語だと答えが返ってきた。半分スペイン語になってますが…町の標識などにはミランダ語とポルトガル語が併記されているが、お店はスペイン語のPOP広告が多い。それだけ町の経済にとってスペインは重要なのだろう。 ポルトガルの公用語として地元の小学校でも教えているミランダ語は綴りが難しい。ポルトガル語ともスペイン語とも違う言葉だ。

懐かしいな、まだデジカメが無かった頃、この家の前で写真を撮りました。真夏で40度くらいあったな。お肉が有名になったのも最近ですよね、メニューの魚は塩ダラとタコくらいしかなかったの覚えてる。
0
40度の炎天下よりは2度の寒さの方が歩きやすいですね。こちらのXマスは鱈かタコですって。
1つ山越しゃ他国の星が凍りつくよな国境 って昔の歌にありました。ロマンチックですね。
今は自由にスペインとポルトガルを行き来できますが、昔はスペインからユダヤ人が逃れてきたり、ポルトガル人もこっそりフランスやドイツに不法移民したり、国境に緊張はつきものでした。
その彫刻にはケルトの匂いがするかも。
グリーンマンとかジェロニモス修道院にもあるし。
グリーンマンとかジェロニモス修道院にもあるし。
生(性)と死を表すという解釈も。建物の花模様のような彫刻や民族衣装のアップリケもケルトっぽいし、民謡はパグパイプだし、ラテンとはちょっと違う文化です。
by caldoverde
| 2014-12-26 03:23
| ポルトガルの旅
|
Comments(6)

