アントニオ・ヴァリアソンイス
2019年 09月 23日
昨年秋から今年にかけ世界的大ブームを巻き起こした「ボヘミアン・ラプソディ」のフレディ・マーキュリーは1991年にAIDSによって亡くなった。それよりも先に同じ病に倒れたポルトガルのポップスターがいた。アントニオ・ヴァリアソンイスは1944年にポルトガル北部の貧しい家庭に生まれ、初等教育を終えるとすぐに様々な職場を経て兵役に就き、その後美容師としてリスボンにサロンを開き、その傍ら自作の歌をカセットテープに録音して音楽プロダクションに売り込み、契約にこぎつけた。特別な音楽教育を受けた訳ではなかったが、父親がアコーディオンやカバキーニョ(ウクレレの元祖)を弾き、ポルトガルの伝統音楽に親しんでいた。ファドの女王アマリア・ロドリゲスは彼のミューズだった。数枚のシングルと2枚のアルバムを世に送り、1984年に39歳で亡くなった彼の伝記映画「ヴァリアソンイス」はポルトガル国内で静かにヒット中である。
映画の予告編
アントニオの歌は、一度聴いたらその声とメロディが頭から離れなくなる程ユニークだ。まず、男か女か判らない。ロック、ポップのサウンドに重なるポルトガル民謡やファド。カッコいいのかダサいのか判別不能。そしてどんな人が歌っているのか見れば、これまた衝撃のヴィジュアル。美容師としての技術を生かした?独特の髭やヘアスタイル。メンズ物レディース物をミックスした特異なファッションは一度見たらこれまた忘れられない。まさに変幻自在のヴァリアソンイス(ヴァリエーション)である。そして彼もまた同性愛者で、ポルトガルで最初のAIDSの犠牲者となった。
ポルトガルでも同性婚が認められるようになり、ゲイであることをカミングアウトしたり、結婚して養子をとり家族を作っている有名人もいる。しかしカトリックの伝統が強く根付いた40年前のポルトガルでは、相当な偏見があっただろう事は容易に想像できる。彼の葬儀には当局が公衆衛生上の観点から色々指導を入れたそうだ。今ではHIVはコントロールできる病気なのだが。
9月になるとリスボンのベレン地区やエドワード7世公園に艶やかなピンクの花を見ることができる。酔っ払いの木、スマウマだ。ぼてっとした棘だらけの幹を飾る大輪の花は、女性よりも人工美を極めたドラァグ・クイーンやアントニオのような独自のスタイルを持つ男性を連想させる。
ところで美容師というと、最近ポルトガルの有名ヘアスタイリスト、エドアルド・ボーテ氏が亡くなった。昔、知り合いの女の子がとても素敵なヘアスタイルだったので、どこのサロンか聞いて行ってみると、実はセレブ御用達の店で、知らずに一見さんで入ってカットしてくれたのが、たまたまエドアルド先生だった。友達からも褒められとても満足したのだが、指名するととても高くつくので、残念ながら3回しか行けなかった。彼も同性愛者で若い男性モデルと結婚し、養子を育てていたが、離婚した。名声を博しリスボンの最も良い場所にサロンを移したが、高い家賃がネックになっていたそうだ。死因は脳梗塞らしいが、色んな心労が重なったのだろう。ご冥福をお祈りします。








