ポルトガルのヌーヴェル・キュイジーヌ その2
2008年 03月 12日
オードブル三皿、魚二皿、肉二皿を五人でシェアしたいと注文すると、黒服は一瞬動揺の色を見せた。普通のポルトガル料理店では一皿の盛りが大きいので何人かで取り分けても問題ない。しかしこの店でそのような注文をする客はいないらしい。一人一皿を前提に作られているようだ(当たり前だが。)
皿が運ばれてくるたびに(妙齢のと言うか、いいお年の)女五人はきれい~、可愛い~、おいしそ~とジャニーズが来たような喜びようである。ポルトガル料理のイメージを覆す、デリケートで、複雑なものばかりである。

遠目に見るとイクラのようなこれはスモークサーモンのタルタル、ポーチドエッグ添え。サーモンの下に何かあったような気がするが・・・

洋ナシみたいな形のパイは中身がフォアグラと鴨肉という贅沢な前菜。添え物の野菜も只者ではなかったと思う。
千切り大根様のものは歯ざわりシャキッとしたりんご。でも中身が思い出せない・・・
オードブルにこんなに気合が入っているなら、メインはさぞかし趣向を凝らしたものであろうと期待はもう沸騰寸前。
まず魚料理2品。


次に肉料理2品。


最後にデザート。
どんな料理なのかもっと詳しく説明しろという声が聞こえてくる。私もそのご要望にぜひお答えしたい。ところが実は、これらが何なのか後から写真を見てもよく思い出せない。確かなのはどれも素晴らしく美味しかったという事実だ。私はボケてしまったのだろうか?いや、もともと天然だからこれ以上ボケるとは思いたくない。
めいめいの皿はそれほど量がない。どれか一皿で満足するポルトガル人は32.4%位と思われる。これは一人の客が、オードブル、魚、肉を一皿づつ食べて満腹する量ではないだろうか。小食な人ならオードブルに、魚か肉のどちらか一品でちょうど良い、そんな量である。
また野菜やパスタなど全く違うプロセスや素材で作られたものが、単に肉魚の添え物ではなく、両者が一体となってひとつのハーモニーをかもし出す、またはコントラストを引き出す重要な構成要素となるべく、高度な計算(多分)に基づいて料理されている。良く言えば素材の味を生かす、悪く言えば煮るか焼くかのどっちかという単純な調理法が一般的なポルトガル料理とは発想を異にしている。ポルトガル料理を貶めているわけではないが、少々技巧が足りないのも事実である。しかし見ただけでそれが何であるか分かるという長所がある。一方この店の料理は複雑すぎて、これは何かしら?どうやって作るのか?と判じて楽しむようにできている。
凝ってはいるが量は多くないこの4皿を5人で分けた結果、一人当たりの魚や肉は私にとっては味見程度のものであった。口いっぱいに頬張って一皿全部一人で食べないことには何をどんな風に料理したものか私には判らない。色々なものを少しづつゆっくり食べてそれなりに満腹した。でも家では絶対再現できないような洗練された料理ばかりなので、ちょびっとだけではそれが何なのか分析できないのよ、私は。
ふと「江戸で一番粋だと言われていた男が蕎麦を食べるとき、つゆは蕎麦の先っぽにほんのちょっぴりつけて食べていた。それが粋とされていたからだ。彼が死ぬときこの世に思い残したことは、一度でいいから蕎麦をどっぷりとつゆに浸して食べることであった」という落語を思い出した。私の心境に重なるものがある。
そんな訳で、材料や味はご想像にお任せ。いつかまたこのお店によそいきを着て男性にエスコートされて一皿丸ごと食べに来てみたい。お会計はそちら持ちで。
皿が運ばれてくるたびに(妙齢のと言うか、いいお年の)女五人はきれい~、可愛い~、おいしそ~とジャニーズが来たような喜びようである。ポルトガル料理のイメージを覆す、デリケートで、複雑なものばかりである。

遠目に見るとイクラのようなこれはスモークサーモンのタルタル、ポーチドエッグ添え。サーモンの下に何かあったような気がするが・・・

洋ナシみたいな形のパイは中身がフォアグラと鴨肉という贅沢な前菜。添え物の野菜も只者ではなかったと思う。

千切り大根様のものは歯ざわりシャキッとしたりんご。でも中身が思い出せない・・・
オードブルにこんなに気合が入っているなら、メインはさぞかし趣向を凝らしたものであろうと期待はもう沸騰寸前。
まず魚料理2品。


次に肉料理2品。


最後にデザート。
どんな料理なのかもっと詳しく説明しろという声が聞こえてくる。私もそのご要望にぜひお答えしたい。ところが実は、これらが何なのか後から写真を見てもよく思い出せない。確かなのはどれも素晴らしく美味しかったという事実だ。私はボケてしまったのだろうか?いや、もともと天然だからこれ以上ボケるとは思いたくない。
めいめいの皿はそれほど量がない。どれか一皿で満足するポルトガル人は32.4%位と思われる。これは一人の客が、オードブル、魚、肉を一皿づつ食べて満腹する量ではないだろうか。小食な人ならオードブルに、魚か肉のどちらか一品でちょうど良い、そんな量である。
また野菜やパスタなど全く違うプロセスや素材で作られたものが、単に肉魚の添え物ではなく、両者が一体となってひとつのハーモニーをかもし出す、またはコントラストを引き出す重要な構成要素となるべく、高度な計算(多分)に基づいて料理されている。良く言えば素材の味を生かす、悪く言えば煮るか焼くかのどっちかという単純な調理法が一般的なポルトガル料理とは発想を異にしている。ポルトガル料理を貶めているわけではないが、少々技巧が足りないのも事実である。しかし見ただけでそれが何であるか分かるという長所がある。一方この店の料理は複雑すぎて、これは何かしら?どうやって作るのか?と判じて楽しむようにできている。
凝ってはいるが量は多くないこの4皿を5人で分けた結果、一人当たりの魚や肉は私にとっては味見程度のものであった。口いっぱいに頬張って一皿全部一人で食べないことには何をどんな風に料理したものか私には判らない。色々なものを少しづつゆっくり食べてそれなりに満腹した。でも家では絶対再現できないような洗練された料理ばかりなので、ちょびっとだけではそれが何なのか分析できないのよ、私は。
ふと「江戸で一番粋だと言われていた男が蕎麦を食べるとき、つゆは蕎麦の先っぽにほんのちょっぴりつけて食べていた。それが粋とされていたからだ。彼が死ぬときこの世に思い残したことは、一度でいいから蕎麦をどっぷりとつゆに浸して食べることであった」という落語を思い出した。私の心境に重なるものがある。
そんな訳で、材料や味はご想像にお任せ。いつかまたこのお店によそいきを着て男性にエスコートされて一皿丸ごと食べに来てみたい。お会計はそちら持ちで。
うぅ~ん!じゅうぶん羨まがらせてくださることぉ!!!一口ずつというのが感激を長引かせるのかもしれませんねー!最近の飲茶も、一口、せいぜい二口ずつで、美味しいという言葉の嵐でしたものねー。
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アタシら庶民の考える金持ち図は、豚の丸焼きなどにかぶりついて、デザートなども食べ放題、飲みんちゃい、食べんちゃいの世界なのですが、ホントは違うのね。
ポルトガルも量より質の時代になったのかな。ポルトガルは庶民より金持ちの方がやせてると思います。いいものを少量食べ、スポーツクラブなどでシェイプアップできるからね。庶民出身の私は日常的に寿司を食べているポルトガル人は許せねえっ。寿司は年1回のご馳走なのだ。
by caldoverde
| 2008-03-12 05:23
| インターナショナル料理
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Comments(3)

